言葉の森新聞 編集用
印刷設定:A4縦用紙 :ブラウザの文字のサイズ:最小 ブラウザのページ設定:ヘッダーなし フッターなし 左余白25 右余白8 上下余白8
  指導の改善
  視点を変えて見る(イルカ/かこ先生)
  標準と価値(みのり/まこ先生)
  ニホンザルとチンパンジー(もんぴぃ/おのぴ先生)
  送りがなについて(スピカ/かも先生)
 
言葉の森新聞 2005年11月3週号 通算第911号
文責 中根克明(森川林)

指導の改善
 言葉の森では、作文の指導を充実させるために、次のような改善をしていきたいと思っています。
 まだ具体的な実施日は未定ですが、今後の方向ということでお読みください。

 まず、この指導改善の目的は、作文指導を更に充実させ、生徒に真の実力をつけることです。

 真の実力をつける方法は、二つの方向で考えています。

 第一は、読む力をつけることです。
 作文指導は、実は週1回作文を書くだけでは、早く上達する子もなかなか上達しない子もいます。
 上達の進度の速い生徒は、必ず長文を読んだり読書をしたりという、読む時間を十分に確保しています。文章を読むという蓄積があるから、先生の一言のアドバイスでも、すぐにそれを生かすことができます。逆に、文章を読んでいない生徒は、アドバイスを形の上で出すだけで精一杯ということがあります。
 例えば、「書き出しの工夫」でも、本を読んでいないと、簡単な会話の書き出しが中心になりますが、本をたくさん読んでいる生徒は、情景の書き出しなどを多様に工夫することができます。これを、週1回の指導の中で、「もっと面白い書き出しを工夫しよう」と要求することはできません。「もっと面白く」などという言葉の上だけの要求をせずに、読む力をつけることでおのずから面白く書けるようにすることが真の指導です。

 読む力をつけるためには、いくつかのことが考えられます。
 一つは、長文を読むことです。ただし、目標もなしに長文音読を毎日続けることは難しいのも事実です。そこで、先生が簡単な問題を出して、長文音読をチェックできるような仕組みを考えていきたいと思っています。
 また、言葉の森のホームページでは、長文の速読のページがあります。このページを利用することによって、毎週長文を読む練習をするということも考えています。
 もう一つは、おすすめの図書の紹介をすることです。現在、言葉の森には、図書の広場という書き込み可能な掲示板がありますが、まだ十分に活用されていません。これを、父母、講師、生徒の手によって、もっと充実させていきたいと考えています。

 真の実力をつけるための第二の方法は、意欲を高めることです。
 作文というものは、出来不出来がそのときの精神状態に大きく左右されます。意欲的に書いた作文と、やる気のない状態で書いた作文とでは、同じ生徒でも全く違います。
 意欲的に作文を書く状態を作るためには、いくつかのことが考えられます。
 一つは、進歩の度合いがグラフや数値で客観的にわかるようにすることです。今、森リンの評価や速読の評価は、グラフとなって表示されるので、自分の進歩がわかるようになっています。これを、もっと多くの生徒に利用できるものにすることを考えています。
 もう一つは、保護者とのコミュニケーションを活発にし、保護者の細かな相談ごとにも機敏に対応していくことです。現在、父母の広場のような掲示板がインターネットにあり、mori-mlというメーリングリストが用意されていますが、まだ十分に活用されているとは言えません。これをもっと生かしていきたいと思っています。
 
視点を変えて見る(イルカ/かこ先生)
 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋……。何をするにも気持ちのよい季節になりましたね。皆さんは、どんな秋にしたいですか。
 さて、先日、宇宙飛行士の野口聡一さんが帰国されましたね。宇宙での活躍を、皆さんもテレビで見たと思います。う〜ん、すごい! この一言に尽きますが、野口さんは宇宙から地球を眺めたわけです。私達は朝になると太陽を見て、夜になると月や星を眺めることをしています。それは毎日のことですし、生まれてからずっと当たり前のように見ているわけですから、特に不思議に感じることはないと思います。でも、ちょっと待ってください。当たり前のように見ている太陽や月や星、実は全部宇宙にあるものなのです。私達がふだん眺めているそれらのものは宇宙に存在するものであり、すなわち、私達は地球から宇宙を眺めていることになるのです。わかりますか。なんとなく不思議に思いませんか。私は小さい頃から天体について勉強することが大好きでした。富士山に登らなくても、死ぬまでに一度でいいからオーロラを見たい、というのが私の願いであり夢なのです。家にある望遠鏡(小さいけれど)で月を見ると、クレーターや海が見えたりします。肉眼で見るとウサギのように見えますよね。地球の上、自分が今立っているその場所から宇宙を見ているのだと思うと、私はすごく不思議な気持ちがしてしかたがないのです。もし、宇宙にいる野口さんから地球で宇宙を見ている私達が見えるとしたら……そんな光景を思い描くだけでもおもしろいと思うのですが。
 当たり前のように思うことも視点を変えて考えてみると、意外な発見があったりおもしろい考えが出てきたりするものです。日常生活においても同じことが言えると思います。朝起きてから夜寝るまでの日常的に当たり前のようにこなしていることも、見方を変えることによって違う自分を発見するかもしれません。そこからいろいろなことを想像することもできるでしょう。それらは作文や感想文を書く上で、すごく役に立つと思います。
 秋の夜長、今日あった出来事を考えながら、それらの見方を少し変えて考えてみる。そして、こうなるかな、ああなるのかなあ、といろいろ想像してみる。そんな楽しみ方もいいかもしれませんね。

 
標準と価値(みのり/まこ先生)
 人でもモノでも標準タイプは人気がある。
 わたしは子どものころ、何かと言えば「子どもは風の子」と言うおとながきらいだった。外で遊びたくない日だってある。子どもだって寒い。
 ところが自分がおとなになってみたら、いつのまにか自分も大きなひとくくりでしか子どもを見なくなる。「園児、小学生、中学生、高校生、大学生とはこういうものだ。」とどこかで決めつけてしまっている。こんなふうに、何となく決めつけているイメージが標準タイプといわれるものかもしれない。
 子どもに限らない。わたしはふたご座のO型だと言ったら「大らかで社交的。」と言われてピンとこなかったことを思い出す。
 「わたしたち日本人」「われわれ国民」などという大きなくくりで語られることは山ほどあるが、その中に「わたしは入れないで。」と思うことは少なくない。
 ぴったり標準タイプの人なんて実在するわけがない。もしいるとしたら、だれよりも個性的でめずらしい人といえるかもしれない。成績や身長、百メートル走のタイムなど、標準値は比べるためにある。比べることで自分の特徴を知り、積極的に生きられるならすばらしい。
 人は比べたり競争したりしながら生きている。「ひとりひとりにちがう長所がある。」と理解しながらも世の中から強弱や落差がなくならないことにつまずく。それは標準社会のモノサシではかる限り消えない。モノサシは道具である。道具は使うもので、使われてはいけない。時に道具はその場に適さないことも多い。何を使うかは自由だ。
 ひとりひとりちがう長所を発揮しながら生きるには、価値を決めるものが無限にあることを知ることだと思う。
 
ニホンザルとチンパンジー(もんぴぃ/おのぴ先生)
   
 皆さんは動物園でニホンザルとチンパンジーを見たことがあると思います。どちらのサルもむれを作ります。今日はこの2種類のサルについてのお話を書こうと思います。
 ニホンザルの場合ボスを筆頭にむれの中で優劣の順位がきまっています。テレビ番組などで時々順位の低いサルがごきげんうかがいのために自分より上の順位のサルの毛づくろいをしている姿をよく見かけますね。ニホンザルのの世界では強いものが有利になるようにできていて、えさについても順位の高い順からありつけるようになってます。十分なえさがある場合、順位の低いサルでもそのおこぼれをもらうことができますがそうでない場合はただ黙っておとなしくしているしかありません。もしえさをうっかり見てしまうとそれだけで攻撃されてしまうからです。それでもむれの中にいるのは大勢の方が敵に襲われにくいし、えさを見つける確立が高くなるからだといわれています。
 一方チンパンジーはというとニホンザルと同様にむれを作るのですが、通常むれを小さく分けた4〜5頭で構成されるグループごとに分かれて生活するそうです。そして時々グループ内のメンバーをグループ同士で交換しながら大きなむれを維持します。そのためメンバー間はお互いに平等だという意識をもっているそうです。そしてニホンザルと違うのは、順位の上のチンパンジーが下の順位のものにえさを分け与えるところです。強いサルは手に入れたえさを決して独り占めしようとせず、下の順位のものに分け与えることでグループのメンバーすべてが平等になるように気配りをするのだそうです。ここにはニホンザルの世界のような弱肉強食の世界は存在しません。順位の低いサルは自分に気配りをしてくれるので喜んでグループに加わるのだそうです。その点がチンパンジーがサルの中でも人に近く高等だといわれるところです。このようにお互いに助け合いができ、そのことを楽しめることが社会を成り立たせる基礎になります。そういった意味で社会というのはおたがいの気配りや思いやりから成り立つものであり、それができるからこそ我々人間は高等動物として存在しているのだということがわかります。
 しかし今の社会ははたしてそういうものがきちんと存在しているのでしょうか。自己中心的な人が増えて気配りや思いやりはどんどん消えていっているというのが実情でしょう。ということは人間が高等であるからこそ作ることができた社会のしくみが消えていき、しだいにニホンザルのように強いものが得をする世界になってきているということなのだと思います。私たちは強いものが勝つということをあたりまえのように思っていますが、これは人間がしだいに退化して社会性というものを失いつつあるということかもしれません。今、私たち人間が高等動物として存在し続けるためにどうすべきなのかということをよく考える必要に迫られている気がします。
   

                     
 
送りがなについて(スピカ/かも先生)

 秋ですね! 肌に感じる空気が冴(さ)えて、「気持ちがいいな」と感じます。
 急に冷えてきたので、みなさん、風邪などひいていないでしょうか。秋は、行事も盛りだくさんで、ついつい疲れをためがちかもしれませんが、よく食べて、よく寝て、元気で過ごしたいですね。

 さて、先月の問題、できたかな? 答えは、次のとおりです。
かなづかいのまちがっているものを選ぶということで、
(1) おおどうり(大通り)
(2) みぢかい(短い)
(3) とおいつ(統一)
(4) ほおぼく(放牧)
が、それぞれまちがい。
正しくは、(1)おおどおり、(2)みじかい、(3)とういつ、(4)ほうぼく
でした。

どうですか? え? 簡単すぎた? では、今月はちょっとむずかしいのを。「送りがな」の問題です。^.^

次の言葉を漢字に直して、必要な送りがなも書きましょう。
(1)(ボールを)なげる
(2)かならず
(3)みじかい
(4)いさましい
(5)こまかい
(6)かろやかな(足どり)

今回は、大サービスで、すぐに答えを教えてしまいましょう。(笑)

(1)投げる (2)必ず (3)短い (4)勇ましい (5)細かい (6)軽やかな

です。
(1)は、「投」という漢字を習ってさえいれば、まちがえることはないかな。動詞の場合、「ない」をつけると、見分けられます。「投げ ない」「飛ば ない」「読ま ない」など、「ない」の直前の音から送りがなをつけます。ただし、「見る」「来る」のように「見 ない」「来 ない」と「ない」の直前に一音しかないものは、その部分を「見る」「来る」のように漢字で書きます。

(2)これは、動詞のように活用しない言葉だけれど、「必らず」とまちがえる人が多いので、気をつけましょう。
(3)〜(5)は、形容詞ですね。どれも、まちがえやすいです。「短い」は、「短かい」ではありません。形容詞の送りがなは、言い切りの形が「〜い」で終わるものは「い」を、「〜しい」で終わるものは「しい」をつけるという決まりがあります。(高い・白い・楽しい・美しい)
ただし、(4)勇ましい は、「勇む」と言い方があり、このような場合は、読み方の短い方合わせなければなりません。(「勇しい」では「いさしい」ということになってしまいます)
また(5)細 のように訓読みが一つではないものも注意が必要です。「細い」と書くと「ほそい」ですね。「こまかい」と読むためには、「細かい」と送りがなをつけることになります。

さあ、どうでしょう? まちがえたものがあっても、ここで覚えてしまえば大丈夫。そして、作文で使ってみましょう。そうすれば、もう忘れないですね。^.^
 
ホーム 言葉の森新聞