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  賞品の不具合にはご連絡を
  教育の力
  文章って、書くことが楽しいのだよ(ひとみ/かもの先生)
  氷室(ミアミア/やまみ先生)
  大輪をさかせるには(いろは/いた先生)
  「人は、その制服のとおりの人間になる。」(はるな/みき先生)
 
言葉の森新聞 2005年8月2週号 通算第898号
文責 中根克明(森川林)

8.2週と8.3週を同時に送っています
 8月2週と8月3週は、言葉の森新聞をまとめてお送りします。
賞品の不具合にはご連絡を
 言葉の森の「賞品の山」で送られた賞品に不具合がありましたらご連絡ください。交換の賞品をお送りします。
(例:ボールペンのインクがすぐ出なくなったなど)
教育の力
 人間は、この地球上のどの生物よりも大きな可能性を秘めた生物です。しかし、その可能性は、創造の可能性と破壊の可能性の両方に開かれています。
 広い宇宙には、地球人と同じように高度に発達した文明を持つ宇宙人がいると思います。その宇宙人も、歴史の中で何度も滅亡の淵に立たされたことがあったはずです。また、その中の何割かの宇宙人の文明は、実際に、発達のバランスを崩して滅亡していったはずです。
 発達と滅亡を分けるものは、バランスです。急速に発展するものは、同時にバランスも失いやすいと考えると、今、宇宙で高度な文明を持つ宇宙人は、緩慢に発達したものではないかと推測できます。
 地球人のように、わずか数十年で、ダイナマイトの発明から原爆の発明まで突き進むスピードを持った宇宙人は、たぶんほとんど滅んでいったのだと思います。もし、同じような発明の発達に十倍の時間がかかっていれば、危険の可能性はかなり減少するでしょう。百倍の時間がかかっていれば、核戦争で滅ぶということはまずなくなるでしょう。
 しかし、人間が今から緩慢な発達に軌道修正することはできません。人類を含む地球上の生物は、カタツムリのようなものを除けば、全体に生きる速度が速すぎるのだと思います。
 そのアンバランスになりやすい人類がバランスを保つための最も大きな手段が、政治と教育です。
 政治の要諦は、ひとことで言えば民主主義の徹底です。今、日本の常任理事国入りが論議されている国連は、国際的な民主主義を保障する場としては大きな制約を持っています。日本は、その国連の枠の中で自己主張をするだけでなく、国連とは別の新たな民主的な国際機関を創設する展望を持つべきだと思います。今の国連に不満を持つ多数の国々が集まれば、国連よりも更に徹底した民主主義を貫く新国連が生まれると思います。
 もう一つの教育の要諦は、二つあります。一つは破壊性の克服、もう一つは創造性の開発です。この中で緊急を要するものは、破壊性の克服です。テロリズムと戦争は、過去の時代と比べて比較にならないほどの大きな破壊の手段を持つようになりました。オウム真理教がサリン事件で試みたように、巨大な殺戮がきわめて容易になっているのが現代のテロリズムの特徴です。強力な破壊力を持った個人の憎悪の連鎖を力で止めることはできません。
 憎悪を克服するものは、力ではなく、愛の教育です。その教育は、言葉の上で愛を十編唱えるような教育ではなく、事実の中で愛を学ぶような教育です。日本は、この愛の実践が豊かな、世界でも稀な国だと私は思います。
 例えば、「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」。これほど悪を為した人を心から許そうとする言葉があるでしょうか。その言葉を創造した人がかつて日本にいて、その思想に共鳴した多くの人が今もいるのが日本なのです。
 また、例えば、勝海舟は、常に暗殺者に命を狙われる情勢の中で、護衛の申し出を断り、家族と女中の数人で暮らしていました。また、自ら剣の達人でありながら、刀に封印をして抜かないようにしていました。更に、どうせ世の中が変わるのだからと、江戸中の牢から罪人を釈放しました。しかし、その一方で官軍から慶信の命が要求された際は、江戸中を火の海にする手はずを整えて、西郷隆盛との話し合いに臨みました。
 個人でも民族でも、緊張の極にある最後の場面で、その個人や民族の人生観が形成されます。海舟と隆盛が行った江戸城の無血開城は、近代日本の精神的なバックボーンとなり、その影響は今も私たちの中に残っています。
 ずっと以前、テレビで、ある民族のお祭りを見ました。そのお祭りの儀式の一つは、生きた鶏をさかさにつるして、みんなで叩くのです。鶏にとっては、いい災難です。しかし、かわいそうなのは鶏だけではありません。そういう文化的実践の中で成長していく子供たちは、確実に自分の心の中に暴力と憎悪を育てていくのです。
 日本文化は違います(と自慢が続きますが)。私の父は、年末になると、「ネズミもお年取りだから」と縁の下かどこかに食べ物を置いていました。ふだんは、ネズミ捕りでつかまえているくせにです。(笑)
 節分の「鬼は外」を、「鬼も内」と言って豆を投げる地域が日本の各地にあるようです。その話を聞くと、ほとんどの人は素直に共感します。つまり、私たちすべての心の中に、「鬼も内」のほうがしっくりくるような文化があるのです。
 この文化的実践を教育として伝えていくことが、現代の日本人と人類に課せられた課題です。人類が自らの破壊性をコントロールできるようになって初めて、その先の創造性の開発が教育の主要なテーマになっていくのです。
文章って、書くことが楽しいのだよ(ひとみ/かもの先生)
 みなさんの、ずっとお兄さん、お姉さんである大学生たちに、時々、文章をどう書くかという授業を、身のほども知らずにやっているのですが、そのときに上手な文章だけでなくて、下手くそな文章というものも役に立つのですね。
 では、だれが下手くそな文章を書くかというと、随筆家の江國滋さんは、一に裁判官、二に学者、三になんと、新聞記者だというのですね。これには、うへえ、と言うしかありません。
 「よくもまあ、これだけの悪文を書けるものだと、感心するような文章を平気で書き綴ってやまない職業人がいる」と、江國さんはこの三つの職業人を上げているのです。
 たしかに最近は新聞記者の文章が下手になった、と言われています。作家の藤本義一さんも、そう言っています。
 ですから、時々、朝刊や夕刊を見ていて、こりゃ下手くそだ、というのを見つけると、切り抜いておいて大学生たちに紹介してやるのです。
 そうか、記者でもこんなものかと、変に安心するという感じがなくもありません。
 さて、なぜ、記者が下手になったか、それを話し始めますと、いくら時間があっても足りませんので、機会があれば話すことにして、そういって叱った江國滋さんとは、どういう人か、ちょっと紹介してみたいと思います。
 随筆家であり、俳句もやります。大学のときは、学生新聞を熱心にやっていた。一時、週刊誌の記者もやっていました。ジャーナリストといってもよいでしょう。
 娘の香織さんが直木賞をもらったのは、江國さんが亡くなってからのことでした。先年、亡くなる前に詠んだ(おい、癌め、酌み交わそうぜ、秋の酒)が、最後の一句となりました。
 亡くなったとき、下手くそな記者の一人が次のような追悼の記事を書きました。江國さんは苦笑していたことと思います。

<朝、新聞を取りに出て突然の訃報(ふ)に胸衝(つ)かれることがある。江國滋さんがそうだった。食道がんを患い雑誌の「慶弔俳句日録」を先月休載していたのは承知していたが、闘いきれなかったか。
 心地よい文をお書きになる方でこの一、二年くつろぎたい折に親しませて頂いた。そういう方に去られるのは、(略)辛さひとしおだ。
(略)愛煙愛酒の人だった。いくぶん変骨度数のある方で、みっともないことは悪であり嫌い、軟弱とは反対の位置におられた。江國さんは「えぐに」と呼ばれるのを嫌った。人の名前は正しく覚えなさいというわけだ。しかも「えくに」の「え」にアクセントを置かないといけない。
 そのあたり気にもかけないマスコミ関係が用件を頼んできて、「えぐにさん」「えぐにさん」と「ぐに」に力を入れようものなら、受話器のむこうで苦虫を噛(か)みつぶす音が聞こえてくる。江國さん食道がん、(略)六十代、まだこれからであった。愛酒家でありかつ愛煙家であり続けたことと関係はないのだろうか。
 滋酔郎(じすいろう)を号する江國さんは今春告知を受けて十時間の手術を終え「俳句日録」に、「あお向けのまま(俳句を)認(したた)めたのは、われながらあっぱれ」、自分への見舞いとして(多くの句を)詠んだ。(略)毛布に鼻うづめ「癌め」とののしる夜 が遺作となってしまった。
 煙草(たばこ)め、とこれは八ツ当りであろうか。>

 小学生や中学生のみなさんには、今月、少し、むつかしそうな学級新聞になってしまいました。ごめんなさい。
 江國滋さんには、「旅券(パスポート)は俳句」という、すばらしい紀行文シリーズがあります。とても上手な、やさしい文章です。ぜひ、お読みください。
氷室(ミアミア/やまみ先生)
 皆さんは、美味しい水を飲んだことがありますか? 私は、店に売っているミネラルウォーターよりも、沢で汲んできた天然水よりも、美味しい水を飲んだことがあります。それは2年前、お産の後に飲んだ水です。長時間の陣痛に耐え、子供を産んだ喜びをかみ締めながら飲んだ水の美味しさは、一生忘れることのない、最高の美味しさでした。

 暑いときに、冷たいものを飲んだり食べたりするのは格別で、冷蔵庫の存在をありがたく感じる瞬間でもあります。改めてそう感じると同時に、昔の人はせいぜい井戸水か、谷川の水あたりが一番冷たい飲み物だったのかな、と思ったのですが、なんと、千年以上前の夏に、かき氷を食べていた人がいたんです。

 平安時代に活躍した清少納言が書いた、『枕草子』には、こんなことが書いてあります。
「あてなるもの。…削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる。」
現代語訳・・・《優美なもの。削った氷にあまずら(蜂蜜に似たシロップ)をかけて、新しいかなまり(金属の小椀)に盛り付けたもの。》

 冷蔵庫もない時代に、どこから氷を調達してきたのかが疑問ですが、これは、冬の間に日陰の山肌などに「氷室」と呼ばれる穴を掘って、氷の固まりを埋めていたそうなのです。もちろん、単に埋めるだけでは氷が溶けてしまうはずですが、氷の周りを、おがくずなどで敷き詰め、熱が入りにくくして、夏まで氷を保たせたのです。アイスクリームなどを発泡スチロール箱に入れて運ぶと、なかなか溶けにくいのと同じようなものといえます。

 このように、氷室まで作って氷を貯蔵する方法を考えついたのは、やはり、日本の夏の厳しい暑さが原因なのでしょうね。

 もうすぐ夏休みです。冷たいものの飲みすぎ食べすぎで、お腹をこわしたりしないように気をつけてくださいね。

大輪をさかせるには(いろは/いた先生)

 新学期が始まったのはついこの間のようですが、もうじき夏休みに入ります。先生のこどもたちは学校でミニトマトを栽培し、それを持って帰ってください、という手紙が届(とど)いたので、さっそく取りに行ってきました。学校では一年生が育てたアサガオも見られました。
夏を代表する草木としてあさがおがあげられます。赤やむらさき、白。水さえあげていれば、簡単に花をつけてくれるので、無精の先生でも育てられる花です。
 このあさがおについておもしろいお話を読んだので、お知らせしますね。あるあさがおの研究家は朝になると決まった時間にみごとな大輪の花をさかせることを不思議に思い、研究を続けたそうです。試行錯誤(しこうさくご)の結果、あさがおの開く条件(じょうけん)として光や水やあたたかい温度だけでは、十分(じゅうぶん)でないということがわかったそうです。では何が必要か。それは「朝の光を浴(あ)びる前の闇(やみ)の暗(くら)さと夜の時間の冷たさ」なんだそうです。
 私たちはとかく、表面(ひょうめん)に出てきたことのみに目を奪(うば)われがちです。作文がうまく書けなくて、「おかしいな、自習もしっかりしているのに。」とか思ったり、お母さんからは「手をぬいているんじゃないの。」と言われてみたり……。しかし、大輪をさかせる前には「夜の暗さと冷たさ」が必要なのです。うまくいかないな、どうすればいいのかな、ともがいている時間は長く感じますが、それは大輪をさかせる一歩手前にいるのだと思います。これは作文に限らず、あらゆることに通ずるものです。受験勉強でも、ピアノでも、水泳でも……。何でも上達する前の暗闇(くらやみ)は存在(そんざい)します。
 「闇の暗さ、冷たさ」を感じたときには「これからよくなるんだ。」という思いに変えてくださいね。いい作品を書くためには、暗闇(くらやみ)が必要なのです。きっと……。これから見事にさくであろうあさがおに水をやりながら、みんなのことを考えた先生でした。(^O^)/
                      
 
「人は、その制服のとおりの人間になる。」(はるな/みき先生)
 今回は、名言にちなんだ、最近の先生の体験談を書きます。

 「人は、その制服のとおりの人間になる。」
 これは、フランスの皇帝で、偉大な英雄「ナポレオン」が言った有名な言葉です。確かに彼の名言は、一面の真理をついていますね。警察官、学生、お医者さん、看護婦さん、ボーイスカウト、ガールスカウト、コックさん……等々、それぞれが身につけている服装で、職業や、立場を、一目見て判断することができます。ふだん、私服でいるときは、ただの平凡な人に見えるけれど、制服を着込むと、たちまち、医師、おまわりさん、ガリ勉の中学生や、女子高校生に見えてくるから、本当にふしぎですね!
 各々の制服に誇りを持ち、上をめざして頑張る顔は、みんな、実に美しいものです。また、その制服に憧れ、目標を抱いて勉強し、努力を積み重ねている人たちも、数多いことでしょう。制服を着ることによって、気分が引き締まり、緊張感や責任感も生まれてきます。「人は、その制服のとおりの人間になる。」というのは、「蟹(かに)は甲羅(こうら)に似せて穴を掘る」ということわざと、一面では、相通じるものがあるのかもしれません。
   
 ところが、先日、電車の中で、先生は、これと全く反対の現象を見てしまいました。JR線に乗り込んで,空いている席に座ると、向かい側のシートに、4〜5人の若者が楽しそうに、大声でおしゃべりしながら、座っていました。彼らの服装は、とてもファッショナブルで、茶髪、ピアスで、独特の雰囲気(ふんいき)でした。
 次の駅に来て、開いたドアーから、杖をついたおばあさんが、乗り込んでこられました。その瞬間、若者の一人がさっと席を立ち,
「どうぞ」
と小さな声で言って、高齢のおばあさんを座らせてあげたのです。それは、とてもすばやく、自然の行動でした。おばあさんは、なんども
「ありがとう」
とお礼を言ってにこにこ笑いながら、お辞儀(おじぎ)しました。
 その青年は
「いいえ、どういたしまして、こう見えても、ぼくは、紳士なんですから・・・」
と、照れくさそうに挨拶したので、周囲の人は、大笑いしました。その光景を見て、先生は、とてもさわやかで、心温まる思いがしました。一見、ツッパッテいるようですが、彼は、きっと、心根のやさしいおばあちゃんっ子なのでしょうね。

 これまで、着用している制服や外見だけで、(ほとんど90パーセントくらいの割合で)、人を判断しがちだった私は、目からうろこが落ちたような気分でした。「服装や、外観だけでなく、その奥底にある人柄を見抜けるようにならなければなあ」と痛感させられたものです。先入観や、社会常識、通念だけで決め付けて物事を受け止めるようなコチコチ頭になることなく、これからは「柔らか頭」で生きようと、深く考えされた出来事でした。
     
 
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