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  3月21日(月)は休み宿題
  国語の勉強法
  ことばの種類をふやそう(みのり/まこ先生)
  一生の財産(なべ/いちご先生)
  何かを感じる能力(もんぴぃ/おのぴ先生)
  NHK大河ドラマを見よう(むり/むり先生)
  餃子の話(すずめ/みり先生)
 
言葉の森新聞 2005年3月3週号 通算第879号
文責 中根克明(森川林)

3月21日(月)は休み宿題
 3月21日(月)は休み宿題です。
 先生からの電話はありません。その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前8時半〜午後8時。電話0120-22-3987)
国語の勉強法
 「国語の力をつけるためにはどうすればいいのですか」という質問をよく受けます。
 私は、これまでずっと、そういうことは国語の専門の塾で対応しているのだと思っていました。しかし、いろいろな人の話を聞くと、国語専門の学習塾というのはほとんどないようです。
 また、これは、学習塾関係者の話ですが、英語や数学は成績を上げることができるが、国語は成績を上げることができない。せいぜい漢字の力をつけるぐらいだが、塾という看板の手前、国語も一応教えることにしているということでした。
 国語の力をつけることは、実は難しくありません。しかし、学習塾などで授業として行うような形の勉強には向いていません。国語は主として家庭学習の中で力をつけていくものです。言葉の森でも、国語の勉強を直接教えるわけではありません。しかし、勉強の方向は自習という形でアドバイスをしています。このアドバイスを実行した子は確実に力がついてきます。
 これまで聞いた話では、小6のときに教科の中でいちばん苦手だった国語が、中学3年生になるころにはいちばんの得意科目になっていたという生徒がいます。また、どうしても国語の成績が伸びなかった小6の生徒が、アドバイスのとおりに勉強をすると、受験の後半で国語の成績だけが伸びたという話がありました。また、高校生で国語の成績がいちばん悪かった生徒がアドバイスのとおりに勉強をしたら、一挙にトップクラスの成績になったという話がありました。もともと国語の好きだった高校3年生の生徒の場合は、大学入試でも国語だけは常にほぼ満点近い成績を取れるので、勉強全体に余裕がありました。

 では、それはどういうアドバイスだったかというと、まず第一は、難しい文章を繰り返し読むことでした。
 この反対の勉強法が、易しい文章を読むこと、問題を解くこと、です。
 ついでに言うと、最も悪い勉強法が、易しい文章を繰り返し読むことです。その典型的な例が漫画やテレビを繰り返し読んだり見たりすることです。(笑)漫画やテレビそのものが悪いのではありません。よくないのは、それを繰り返し読んだり見たりすることで、その一方で漫画やテレビ以外にまともに読んでいるものがないことです。
 難しい文章を繰り返し読む際の教材でいちばんよいものが、過去の入試問題です。学習塾によっては、過去問を受験直前にやって実力の判定に使うというところがあります。受験生や親自身も、過去問はそういう使い方をするものだと勘違いしている人がかなりいます。しかし、それは過去問のいちばんもったいない使い方です。過去問は受験勉強のスタートのときから、勉強の中心の教材として使うものです。特に、国語という教科は学年の差がないので、いつからでも使うことができます。
 市販の問題集よりも過去問の方がいいのは、作られている問題の質が違うからです。国語の問題は、解釈によって正解と不正解の幅があります。だから、入試問題の場合は正解が一つに限定されるように、細部まで緻密に作られます。その結果、理詰めで考えることのできる良問が多くなるのです。
 問題という形式を見ると、すぐに問題を解こうとする人がいます。しかし、国語の問題はいくら解いても力はつきません。解けた問題は、やらなくても解けていたはずの問題ですし、解けなかった問題は、たとえ答えを見ても、次回からそれで解けるようにはならないからです。国語の問題は、解けても解けなくても、どちらも実力にはなりません。しかも、問題を解くというのは、もっと大きなマイナスがあります。それは、一つは時間がかかることです。もう一つは、結局1冊の問題集を1回しかやらない結果になることです。更に、問題を解く形の勉強は、構える勉強になるので、気軽に続けられないというマイナスもあります。
 問題を1ページ解いている時間があったら、同じ問題集の問題文だけを5ページから10ページは読めるはずです。したがって、1冊の問題集を全部解いている時間があったら、同じ問題集の問題文だけを5回から10回は繰り返し読めるはずです。それも、電車の中でもベッドの中でも、どこでもできる気軽な勉強として続けられるのです。
 子供が小学生のころは、読むだけの勉強というスタイルは、親が見ていて不安になるようで、つい問題を出したり、わからない言葉を調べさせたりする勉強を追加したくなるようです。しかし、こういう一見勉強的なやり方は、多くの場合、マイナスにしかなりません。その理由は、面倒で複雑なことをすると気軽に長続きする勉強にはならなくなるからです。同じ文章を何度も読んでいると、子供自身から、わからない言葉や意味について自然に質問をしてきます。そのときに、親が辞書がわりに簡単に答えてあげればいいのです。辞書で調べる勉強は、調べる勉強として独自にやるものです。読む勉強と調べる勉強を一緒に行おうとすれば、どちらも中途半端になるだけです。

 国語の力をつけるための第二の重要なアドバイスは、次回に。(つづく)
ことばの種類をふやそう(みのり/まこ先生)
 作文の上手な人は、表現が豊かです。表現が豊かというのはどういうことかというと、一つのことを書くのにいろいろな書き方をするということです。

 例えば、どこかに出かけたときの楽しかった気持ちを書きたいとき、もし「楽しい」ということばを使えないとしたらどんなふうに書きますか。

・うれしくてわくわくした。
・おわってしまうのがいやでこのままずっとつづけばいいと思った。
・帰りたくなかった。
・「また行こうね。」と何度も何度もお願いした。
・まるで天国にいるようだった。
・友だちに話したくてうずうずした。

どうでしょう。楽しい気持ちが伝わってきませんか。こんなふうに気持ち(思ったこと)をあらわすことばはさがせばたくさんありそうです。

 作文を書くとき、「楽しい」ということばは一回しか使えないと思って別の言い方を考えてみるといいね。
・「まるで」を使ってそのときの気持ちを何かにたとえてみる。
・からだの動きで気持ちをあらわしてみる。
・「わくわく」「うずうず」「にこにこ」といった擬態語(ぎたいご)を使ってみる。

 みなさんが読んでいる長文の中には、このようなことばの種類をふやすヒントがいっぱい入っています。音読をくりかえしていると、知らず知らずのうちにからだがおぼえてくれているのです。好きな表現やかっこいいことばがふっと思いつくかもしれません。
一生の財産(なべ/いちご先生)
 みなさん、今、言葉の森で毎週作文を書いてますが、今まで書いた作文、もしくは学校の授業中や宿題で書いた作文の中で一番好きな作文を覚えてますか? お友達と遊んだことや、家族で遊びに行ったこと、習い事のことや、好きな本の感想文なんかもあると思います。その作文を気に入っている理由として、たとえがじょうずにできたとか、誰も思いつかないようなだじゃれを書けた、昔話を上手に取り入れられたなんていうのがあるでしょう?

 先生が子供のころに書いた作文で、一番好きだった作文は、小学校5年生の時に書いた母の日のできごとを書いたものです。確か学校が「母をたたえる作文コンクール」のようなものに応募(おうぼ)し、入賞したように覚えています。小学生当時、私はなぜか母の日におにぎりなどを持って、自分の家から歩いて2キロほどある九十九里海岸に散歩するのを、毎年の行事としていました。雨の日以外は必ず実行していたように思います。私は、末っ子のため、かなりお母さんっ子(今でも(^o^;)でした。そもそも母の日というのは、いつも頑張っているお母さんに感謝をするという日なんだと思いますが、小学生だった私は、感謝というより思いっきり母に甘えていい日と思っていたのかもしれないですね。作文では、海岸までの道中(どうちゅう)のいろいろなお花が咲いていたり、貝がらを拾ったり、時には、知ってる人に出会ったり、と、五月の心地よい風と同じように、とにかく楽しくてうきうきした様子をつづっていたのだと思います。細かいことは忘れましたが、作文の最後には、「来年も再来年もずっとずっと母の日には、お母さんといっしょに、海に行きたい。」っていうことを書いたことを覚えています。実際には、中学生になったころあたりからは、部活も始まり、友達との約束を優先(ゆうせん)させてしまっていたために、母の日に海に行く行事はいつのまにかやらなくなってしまいました。でも、今でもあの五月の日曜日の毎年の出来事のことは、はっきりと覚えています。そして、このことを作文に書いたことは、一生の財産になってるのかもしれないなぁと思っています。

 みなさんも、今、いろいろと作文を書く練習をしていますが、今まで書いた中から、もしくはこれから書いていく中で一生の財産になるものがあるかもしれませんね。
 書くことは、一生の財産になりますよ! みなさんも、作文めんどくさいなぁなんて思っちゃう時もあるかもしれません。でも、たかが、学生時代に書いた作文一つでも、今こうして色あせないで心の中に残るっていうことを忘れないでくださいね。なんだか学級新聞2月号というより5月号にふさわしい内容だったかな。

 お母さんっ子だった私がお母さんになった今、今度の五月には、実家に帰って海まで息子といっしょに歩いてみようかな。母は、今はすっかりおばあちゃんになり、とても海までは歩けなくなりましたが……。まだまだ元気でいてくれます。(^o^)
何かを感じる能力(もんぴぃ/おのぴ先生)
   

 昨年インドネシア・スマトラ島沖地震・津波が起こったことはみなさん知っていると思います。新聞によれば死者の数は23万人をこえるそうです。本当に悲しいことです。人間に数多くのぎせい者がでる一方で、動物たちは何が起こるかいち早く察知して高いところに逃げたので助かった例が多いということを耳にしました。昔から動物は自然の災害に対してびんかんで何かが起きる前にすばやく逃げてしまうということをよく聞きます。みなさんも地震の前になまずがあばれだすというような話をきいたことがあるでしょう?
 動物たちにとって一日一日生きていくことはそうたやすいことではないのです。いつもあたりの様子に目を配りながら自分の安全を確保する。それができなければ敵に不意打ちをくらい、死んでしまうかもしれません。太古の昔、人も厳しい環境の中で同じような生活をしていたことを考えれば、人にも動物と同じように予知する能力があったと考えても不思議ではないと思います。しかし文明を手に入れることでその能力を次第に手放していったのではないでしょうか?

 気配という言葉があります。(=その存在がなんとなく感じられること。)
 近頃道を歩いていると歩道いっぱいに広がりながら歩いている人たちをよく見かけます。自分たちのおしゃべりに夢中で本当に楽しそうです。そして後ろに人の気配があることにもまったく気がついていないようすです。そういう光景を見ると人は以前もっといろんなことに気を配りながら生きていたのではなかったのかということを強く感じます。四方に気を配りながら歩き、時に四季折々の草花を見つけては感動していたのではないでしょうか。とうぜん後ろに人がいればすぐ気がついて……。

 今は何でもあってお金を出せばすぐ買うことのできる便利な世の中です。暑さ・寒さで困ることは少なくなりました。常に気を配らなくても命を落とすようなことにはなりません。その代わりに、便利になることで私たちは多少なりとも残っていた何かを感じる能力を失いつつあるのかのしれません。動物のようにはいなかくても、その能力を失わないようにしたいものだと思います。

   

                          
NHK大河ドラマを見よう(むり/むり先生)
 今月の学級新聞のテーマは「NHK大河ドラマを見よう」です。
 昨年の大河ドラマ「新選組!」では、おしゅこしゅさんとドラマの中身で盛り上がりましたが、今年の「義経」もおもしろそうです。別に去年の主役が香取慎吾で、今年の主役がタッキーだからというわけではありませんよ。私は古くは「風と雲と虹と」の頃から大河ドラマファンだったのですから。(さて、これは何年前のドラマかな)
 もちろん、過去の大河ドラマにはお話としてあまり面白くないものも、話は面白くても歴史的には少し変というものもありました。大河ドラマに描かれる歴史が本当の歴史だと思ってもらっては困ることもあります。けれど、最近歴史という世界には学校の授業以外ではなかなか触れることがないのが現実です。大河ドラマを見ることによって、日本の歴史のおもしろさをちょっとでも知ってもらえたらうれしいですね。
 また、日曜夜8時といえば、多くの家では家族全員が揃う時間でもあります。お父さんと一緒に大河ドラマを見ていると、「お父さんは中尊寺に行ったことがあるんだよ。」とか「本当に悪いのは藤原氏だと思うな。」といった話が聞けるかもしれません。テレビを見ながら、そんな会話ができるのも大河ドラマの醍醐味です。
 さて、今年の「義経」ですが、今のところ軽快なテンポで義経の複雑な生い立ちと成長が描かれています。これから、前半のクライマックス平家の滅亡までは、日本人ならテストには出なくても知っておきたい見所満載です。
今まで見ていなかった人も、今からでもだいじょうぶ。ぜひ、日本の歴史を楽しんでください。

                      
餃子の話(すずめ/みり先生)
 みなさんの好きな食べ物ってなあに?
 よく、アンケートやじこしょうかいで、書くことがありますね。おいしいなあっておもうものがたくさんあって、どれを書くかまよったり、らんに書ききれない人も多いでしょう。先生もそうでーす。


 さて、今月はそういうおいしいもののお話です。みなさんの大好物(だいこうぶつ)の中に、餃子(ぎょうざ)や肉まん(にくまん)春巻(はるまき)、はありますか?和食(わしょく)なら、五目ちらし、イタリア料理(りょうり)なら、ピッツア、ラビオリなんかでもよいのですが。これらに共通(きょうつう)するのは、いろいろな素材(そざい)が使われた料理ということです。

 餃子をれいにとってみましょう。先生のうちバージョンでおおくりします。
材料(ざいりょう)は、皮(作るととっても力がいってたいへんだから、お店で買います)、にら、はくさいかキャベツ、長ネギ、にんにく、しょうが、ひき肉、調味料(ちょうみりょう)は、ごま油、しお、こしょう、しょうゆ、さけ、かくしあじにオイスターソースとお酢(す)、そしてかたくりこ。あんに入れるものは、もしあったら、たけのこや、にんじんや、しいたけ、春雨(はるさめ)などもいいですね。

 小さなひとつの餃子の中にこんなにいろいろはいっているのですね。びっくりです。だから食べたとき、それらの味(あじ)や香り(かおり)、食感(しょっかん;食べた感じ、くちあたり)がふくざつにまじりあって、「おいしい! 」と感じるのです。


 「ぼくは、やさいはきらいだから、おにくだけの餃子が食べたいよ。 」なんていうお友だちもいるかな。でもね、作ってみると、あんまりおいしくないのです。やさいといっしょのときより、たんじゅんで、ごわごわした味わいです。むずかしい言葉でいうと、「相乗効果(そうじょうこううか)」というのですが、お肉といろいろな野菜たちが、おたがいがおたがいをひきたてて、計算でいうと、1+1=2ではなく、3,4,5,6、もっとかな?より深い(ふかい)味わいを作り出すのです。
                
 かんのいい大きい学年の人たちはもう、わかったかな?そうです。


 作文もそうだと思うのです。課題フォルダの●は、餃子でいうと、お肉やにら、キャベツというわけです。全部(ぜんぶ)シールがはれたり、「2」がついたら、餃子の完成(かんせい)ですね。先生の講評(こうひょう)は、食べるときにつけるたれ、ラー油かな。

 ぜひ、このことを思い出して、おいしい作文にしてください。
 え、、餃子のことを思うと、おなかがすいてきて、書けない? そこは、ちとがまんですよ!

      ではしっかり食べて、インフルエンザに負けない体を作りましょう。

                     φすずめ
 
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