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  森リン1月の学年別ベストワン(中1〜社)
  年代別勉強の仕方(森川林/なね先生)
  物語を作る(みのり/まこ先生)
  「前の話」「聞いた話」「調べた話」(ぺんぺん/わお先生)
 
言葉の森新聞 2005年2月3週号 通算第875号
文責 中根克明(森川林)

森リン1月の学年別ベストワン(中1〜社)
中1の部 裸の自然 れもん 94点
 「田舎は落ち着く」大都市で過ごす人なら誰もが一度は味わったことのある感情ではないだろうか。都会と田舎。この二つの違いは至るところに見受けられる。まず何と言っても便利さである。都会には有り余る程の店舗が建ち並び、豊富な品物が並べられている。不足な物があるときは、苦労をしなくても簡単に手に入れることができるのだ。しかし、その都会でも唯一手に入れられないもの、それが自然である。都会が発展する代償として知らず知らずのうちに姿を消してしまった自然が田舎には多く残されているのだ。人はそもそも、人間である前に一つの生物であるから、元はといえば、自然の中で生活するべきものなのだ。アスファルトとコンクリートで囲まれた世界では、必然的にストレスは溜まっていくのだろう。私は整備されすぎた環境よりも、なじみやすい人間らしい世界を大切にすべきだと思う。
 その第一の理由は、落ち着くことができるからだ。私はよくテレビで世界中の億万長者の人々の家などを見たことがある。その人たちの家は外見から中身まで全てが煌びやかで宝石のように輝いていた。汚れている場所を見つけるほうが困難な程にまで整備された家は感激して驚く反面、本当にこれは家として成り立っているのか、という疑問が沸いたことも確かだ。屋外プールなど、確かに形式的な癒しの空間は作られているかもしれない。しかし、それは全て人工的なものであり、人の心以上の癒しは求められない。人間の着飾った表面の部分のみしか受け入れられないような場所よりも、人間をはるかに超えた存在である自然に囲まれ、全てを包んでくれる空間のほうが必要以上の疲労も溜まらず、より人間らしく生きることができるのではないか。
 第二の理由は、自分自身の本音や真の姿を知ることができるからだ。年間の日本からの海外旅行者数が1500万人を突破したことからも分かるように、人は常に繰り返しの日常は好まない。人は毎日の生活の変化から生じる心情の移り変わりの中で、自らの精髄を探し求める生き物なのだ。例えば同じ話題を話すにしても、密室の灰色の部屋で話すよりも、窓から景色を一望できる眺めの良い部屋で話したほうが話しが弾むだろう。また、高級レストランに行くのに私服では行きづらいように、どうしても気品溢れる雰囲気だと外見と同時に、心まで着飾ってしまう。やはり、圧迫感の無い自然な状態でいるときこそ、本来の自分自身と向きあうことが可能なのだ。
 確かに、世界中が泥臭さの漂う空間であったら、それはそれで人間の美的感覚が許さないであろう。しかし、人の心の安らぐ場があまりにも減少しすぎた現在、心の余裕、ゆとりを取り戻すことのできる変に緊張しない世界を創ることも大切なのではないだろうか。それによって少なからず、犯罪数の低下などにも繋がると思う。「家とは、外から見るためのものではなく、中に住むためのものである。」という名言もあるように、外見が綺麗なことは気持ちが良いことかもしれない。しかし、家を鑑賞品のように、内側も外側も完璧に隙の無いように造り上げてしまうと、住人に大きなしっぺ返しがくる。休息の場所、活動の空間、この二つのメリハリをしっかり付けることによって常に最高の自分を楽しむことができる。生活において、人間の必要以上のプライドを捨てることができたとき、田舎ののどかな風景のような、程好いゆとりを持った広い心を取り戻すことができるだろう。


中2の部 あなたは明日死んでも悔いはないだろうか 將 100点
「俺お年玉7万円貰った。」
今年初めての部活動で、友達同士お互いのお年玉の合計金額を聞き合っていた。多い人は7万円から少ない人は2万円まで千差万別だった。確かにお金が多いことには素直に嬉しいしそれに越したことはない。しかしそれが本当の幸福に直結していると勘違いしている人はいないだろうか。「かねが人生のすべてではないが有れば便利 無いと不便です 便利のほうがいいなあ」これは相田みつをさんの作品だが、僕もこれに共感した。お金とはそれが有ることによって幸せになる可能性が開けていく、いわば打ち出の小槌のようなものだ。幸せの扉を開く物ではない。しかし時としてお金は虚しく、人に悪影響を及ぼす時がある。
確かにお金があると、物質的な豊かさを感じることができる。経済的に家系が豊かだと新しく便利な物が手には入り、また海外やテーマパーク、観光地などへ家族で出かけ一生の思い出を創ったり、貴重な体験をしたりすることができる。僕は以前、中国は日本に劣って豊かではないと思い込んでいた。実際に瀬戸市の国際交流で現地へ行ってみると、木や電柱が倒れていたり、コンクリートの道路に砂の山ができていたり、道路が穴だらけだったりと、とても驚いた。そして一番驚嘆したことは、観光名所になっている敷地内に平気で果物の皮などを捨てることだ。ところが僕のホームステイ先の家は、シャンデリア2つ付きの五階建てだったのだ。それに、ドライバーさんや家事のお手伝いの女中さんがいて僕にしてみればまるでお城に来てしまったかと思った(笑)。確かにそこの家は数多くの利点があり、住みやすく皆の憧れなのかもしれない。けれども家事や、身の回りのことをすべて女中の方にお願いしていては、子供の学びの場が剥奪され、立派な大人として自立しにくいだろう。金遣いも荒くなるだろう。将来も大豪邸で、またお手伝いさんを雇えば話は別だが、もし地震等の災害が起こって財産がなくなってしまったとき、立派な一人の人として、幸せに暮らせるのだろうか。お金は、時として姿を変える。
こころが満たされていれば人生が豊かだという意見もある。お金で買えない経験を積み、他人には真似できない自分だけの花を咲かせることはすばらしいことである。こころが充実していればその場の雰囲気も自ずと良くなり、人生が楽しくなる。したがってその中で、自分の趣味を見つけることはいいかもしれない。僕は今野球に熱中しているが、そこでいろいろなことを学んできた。仲間意識、厳しい練習、キャプテンとしての苦労・・・いろいろなハードルがあったが、そんな下積みの成果が出て優勝した時は言葉で表すことのできない達成感が芽生えるのである。一回戦から一番の優勝候補と当たり、思いがけないアクシデントが有り、決勝戦も延長戦後の特別ルールの末勝った。たった市内での優勝だが、部員全員が意気投合し、盛り上がった結果頑丈なチームワークを作り上げることができた。このときの僕の心は幸福で満ち溢れ、まるで昔話の「幸福の王子」の心にひけをとらないほどだったと思う。この思い出は、一生の財産だ。
確かに物質的に豊かなことも、こころが豊かなことも大切だ。しかし一番大切なことは、「ライオンは、一匹のウサギを倒すためにも、全力を尽くす」という諺のように、その一瞬一瞬を大切に、一生懸命に生きることではないだろうか。<<主題>>僕はこれから、明日死んでも悔いが残らないように、自分自身と地球に住むすべての生き物のために生きたい。


中3の部 自然をコントロールなんて…… Auror 92点
 土を耕す仕事は自然と調和した行為と一般では思われているが決してそうではない。恣意的、と言って曖昧なら、人間が自然を自分の都合のよい方向に捻じ曲げる行為、と言ったら言い過ぎだろうか。まず、野菜という概念からして人工的なものである。食用になる野草山菜のうち、人の管理下での植栽が可能なものが「ベジタブル」と呼ばれる。そして品種の「改良」という名のもとに、人間は植物の姿かたちさえも自分たちの望むとおりに変えてきた。根がたべたければ、根を太くしてみたり、茎が固いと思えば、茎を柔らかくする。人は自然を自分たちのコントロール化に置いたような気分になるのである。実際には、まったく、自然を手なずけるどころか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。僕は自然をあなどらず、謙虚な気持ちを忘れずに生きてゆきたい。
 そのための第一の方法は、自然の恐ろしさを再認識することである。近年、世界各地では異常気象といわれる現象が多発している。昨年、日本には台風が十個も上陸した。その台風によって、各地の河川が氾濫し、町全体が水浸しになっている映像などを何度もテレビで見た。その次は新潟で地震が発生した。この地震では、おおきな揺れが三回も起こっていた。このとき、なんだか災害の多い年だなと思っていた。そして、年末に海外ですさまじい事が起きた。スマトラの沖での地震である。僕はこの地震のあった日の朝刊に目を向けたと同時に自分の目を疑った。朝刊の一面には、町が津波によって水浸し、というよりも津波に飲み込まれた様子が写っていたからだ。まるで、家や車が汚い水のプールで泳いでいるような写真だったと思う。その後、日を追うごとに被害の全容がどんどんと明らかになってきた。十数万人の命が一瞬にして奪われていた。日本人の方でも、この津波の犠牲になっている方がおられる。また、米航空宇宙局によるとこの地震の影響で、自転速度がわずかに速まり、一日の長さがかすかに短くなったらしい。そして、この地震はまた、地球の形にも変化をもたらし、地球の形がより球形に近づいたらしい。
 今年は阪神淡路大震災からちょうど十年の年である。あのとき、僕は五歳だった。実は、揺れていたときはグゥグゥと眠っていて、その後母親の「地震や!」という叫び声で目を覚ました。あのときの地震のテレビの映像で、今でも思い出すのは火災が発生していて、いろんなところがゴォゴォと炎を上げていたことだけである。あの大震災から、十年という節目を迎える僕たちは、自然の恐ろしさを再認識する必要があると思う。(体験)
 また第二の方法は、子供の頃から自然に親しんでおくことである。テレビゲームなどがなかった時代の子供たちは、いつでも外に遊んでいたので、今の大人の人でも、自然になれている人は多いと思う。だが、そのゲームの発達によって、外で遊び自然と触れ合う時間がなくなっているのは事実だと思う。有名な「ファーブル昆虫記」を書いたファーブルさんは、子供の頃に自然に強い関心をもっていたらしい。やはり、小さいときから親しんでおくことは、とても大切である。今では「ファーブル検定」というのも行われているのである。(伝記)
 確かに、今は自然よりコンピュータなどの方が役に立つし、必要なものである。コンピュータによって、自然の脅威を退けることもできる。だが、絶対に自然をあなどってはいけない。「未来を予測する最も確実な方法は、未来を創造することである」という名言があるが、自然を予測することは仮にできても、その自然を人間の手によってコントロールすることは不可能である。僕も自然の力を甘く見ていた部分があったと思う。だが、今回のスマトラ沖の地震では本当に驚いている。だから、自然をあなどらず謙虚な気持ちを忘れずに生きてゆきたい。


高校生以上の部 ルフィ 103点
 独裁。辞書的な意味は、「一人の考えで物事を決めること。特に、特定の個人または階級が全権力を握って支配すること(岩波国語辞典)」とある。しかし、私達がその言葉を聞いて思い浮かべるのは、ドイツのアドルフ=ヒットラー、日本における軍部の台頭、そしてなんと言ってもお隣北朝鮮の将軍様、であろう。そもそもこの「独裁」という言葉が私達に与える悪いイメージは、全て先に挙げた独裁政治から来ているように思える。この独裁政治というものは、社会情勢が不安定なときなどに見られ、カリスマ性をもったリーダーを元首と定め、能率のよい政治(何かを決める際いちいち審議を通さない等)を進めていくものである。だが、たとえどんなに効率がよいとしてもいつかは人民の氾濫を買うことになり、滅びる運命である。だからこそ、私は独裁よりも民主主義を支持し、それにしたがって審議を進めるべきである。
 そのためには、話し合いのなどのプロセスを面倒と思わないことだ。例えば、私の学校では毎年文化祭で各クラス演劇をするのだが、去年の6月ごろ、その題目について話し合いがあった。散々揉めて、とんでもない意見も出てきたりして(ex.ウォーターボーイズ クラスにプールを作ればいいとか)会合はまさにカオスと化していたのだが、委員の踏ん張りによって何とか大多数の納得のいくものに落ち着いた。結果、私達のクラスは(多少の内紛はあったが)皆が行事に対して真剣に取り組み、当日は大成功を収めたのである。ここで思い返すと、もしあのときの話し合いで、委員が半強制的に「これ!」と決めてしまっていたとすれば、その後の頑張りはなかったように思える。当時委員が題目決定の締め切りを過ぎようがなんだろうがお構いなく、粘り強くクラス中の意見を聞き入れていたからこその成功だったのだ。まぁ、その間に彼らから愚痴を聞かされ続けた私の影の功労も見落とせないが(笑)
 また、政治的な面から捉えれば野党の勢力が与党と拮抗していることが大切である。これは、先にも挙げた戦中の軍部の台頭からも窺える。1930年代、五・一五事件をきっかけに軍部は政党内閣を瓦解させ、一気に独裁政治を確立していった。この時、世間には彼らの政治が間違った方針を示していることに気づいている人々もたくさんいた。だが、それを顕に口に出して言えるものはなかった。言えば殺されるからだ。このため、軍部は暴走を続け、ファシズムが躍進し、第二次世界大戦にいたったのである。現在ではこの反省を生かして大臣文民制(だったっけ?)がとられているのだが、私はこの軍部の台頭のもう一つの原因として、対抗勢力が武力の前に屈してしまったというものもあると思う。確かに当時の状況なんて、私には想像すら出来ないほどのものである。だが、本当に国のことを思って政治家になったのならば、最期まで責任を果たすべきだと少し思った。
 確かに独裁政治に比べ、民主政治は手間もお金もかかるものである。だが、それらでは変えない総意という価値があるのだから、決して放棄してはいけないものだ。「民衆の総意が多少の障害に討ち負けてしまうほどの安価なものであってはならない」のだから。
年代別勉強の仕方(森川林/なね先生)
 人間の重要な目的の一つは自己を向上させることです。その向上の大きな部分を知的向上が占めています。勉強の目的とは、この知的に自分を向上させることにあります。
 勉強を向上ととらえると、それは既に幼児期から始まっています。幼児期の勉強(向上)の基本は、愛情と対話です。小さい子供にとっては、愛情を受けることそのものが成長につながっています。
 小学校時代の勉強の基本は、勉強の習慣を身につけることです。毎日決まった時間に決まった勉強をするという習慣をつけることが最も大事です。その勉強の中身のほとんどを読書が占めています。
 中学校時代の勉強の基本は、勉強の仕方を身につけることです。勉強の能率を上げるにはコツがあります。それは少量の質のよいものを繰り返し習得するということです。また、勉強には試験がつきものです。試験のための勉強というと近視眼的に見えるかもしれませんが、そうではありません。人間の人生そのものが、日々必要に迫られて具体的な問題を解決することの繰り返しです。そう考えると、試験に合わせ、試験でよい点を取るために勉強することは、具体的な問題解決をするというより大きな意味での勉強をしていることになります。
 小学校時代の勉強が戦闘という小さい局面での話だと考えると、中学校時代の勉強はより大きな局面である戦術面での話になります。戦闘から戦術へという延長で考えると、高校時代や大学時代の勉強は、更に大きな戦略面での話が中心になると考えられます。戦略面とは、何のために勉強するかということです。
 勉強のステージが、戦闘、戦術、戦略と上がってくるにつれて、親の働きかけも当然変わってきます。小学校時代の親の基本姿勢は愛情と強制です。強制というと言葉がきつくなりますが、要するにやることとやらないことをはっきりさせるということです。読書は毎日する、テレビは一定の時間以上見ない、決まった時間に寝る、などは、親の強制力がなければできません。
 しかし、単なる詰め込み型の勉強を強制させるようなやり方は長続きしません。小学校時代の勉強はたかが知れています。この時期にいくら勉強の先取りをしても、その先取りが有利に働くのはわずか数年です。小学校時代に英語や漢字や計算の知識を先取りした子とそういうことをしなかった子の差は、高校生になるころにはすっかりなくなってしまうのが普通です。小学校時代の勉強で残るのは周囲から受けた愛情と読書の楽しさです。
 中学校時代の勉強は、作戦を立てる勉強です。子供の知的能力には個性があります。また受験する場合はそれぞれの志望校の試験問題に個性があります。これらの個性を組み合わせて総合的に判断する力は子供自身にはありません。小学校時代の戦闘型の勉強の延長でただやみくもに取り組む子がほとんどです。しかし、学習塾でこれらの子供に個別のメニューを作ることは、手間がかかりすぎるのでまずできません。中学校時代の勉強の理想は、親が子供の模擬試験の結果などを分析しながら、個別のメニューを作り、子供自身の力でそれをこなしていくことです。
 高校大学時代の勉強では、親がアドバイスをすることはほとんどなくなります。親が勉強についていけなくなるという事情もあります(笑)。しかし、ここですべて子供に任せてしまうことはできません。勉強の戦略面については、子供は何も知らないからです。不思議なことに、学校や予備校でも、勉強の戦略についての話はほとんどないようです。学校や予備校が提供する勉強時間の大部分は、戦闘や戦術に充てられています。
 高校生や大学生に向かって、親が「ちゃんと勉強しろよ」「勉強しないと困るぞ」などと表面的に言っても何の効果もありません。子供は「わかった、わかった」「ちゃんとやってるって」とこれも表面的な返事をするだけです。「ちゃんと」の中身が検証されないまま、言葉だけを交わしているに過ぎません。実は、高校生や大学生は、ちゃんと勉強する必要はないのです。もちろん、毎日一定の時間を勉強時間に充てるということは土台を作るために必要ですが、単に毎日こつこつやっていればいいのではありません。いちばん大事なことは、いざというときに死に物狂いになってやる気迫を育てることです。そのために親ができることは、子供に感動を持って話すことです。世界にはまだ解決されていない問題が山ほどあり、それを解決できるのは人間で、その人間の能力は無限なのだということを子供に伝えることだと思います。もちろんどこの大学を受けるかとかどこに就職するかという具体的な話も大事です。しかし、それらの選択の根底にあるのは、どういう人生を生きるかということなのです。
物語を作る(みのり/まこ先生)
 みなさんは自分で何かお話を作ったことはありますか。私は大学のとき、なぜか英語の授業で小説(しょうせつ)を書く宿題(もちろん日本語で書くのですが)を出されたことがありました。そのときはずいぶんこまりました。苦しまぎれに何か書いて出したことは出したのですが、どんなお話だったのか、今では少しも思い出せません。思い出したくもないぐらいつまらないものだったのだと思います。そのときから小説家ってすごいんだなあと思うようになりました。
 どうしてこんなことを思い出したかといいますと、最近読んだいくつかの本にたまたまプロップという人の物語分析(ものがたりぶんせき)についての記事(きじ)があったからです。
 プロップは物語に含まれるべき行為(こうい)を31個見つけたのだそうです。
例えば、(1)AはBから何かをだましとる。(2)なくしたものを取り戻すために旅に出る。(3)BはCに何かよいことをしてあげる。(4)CはBに魔法の力を与える。(5)Bは魔法の力を使ってAとの戦いに勝つ。(6)Bはなくしたものをとりもどす。
というようなものです。
 これを使えばだれでも物語を作ることができる! と書いている人もいました。もし、私が学生時代にこのプロップのことを知っていたら、もう少しましなお話が書けたかもしれなかったのに……と思ったのでした。それから子どものころは、遊びの中でいろいろな役になりきってお話を作っていたことも思い出してきました。どうしてだんだんできなくなってきたんだろうとふしぎな気もしてきました。考えすぎるからでしょうか……。
「前の話」「聞いた話」「調べた話」(ぺんぺん/わお先生)
 今回は、小3〜小6の項目にある「前の話」「聞いた話」「調べた話」についてお話したいと思います。低学年でも参考になる内容ですので、おうちの方が、お子さまに説明してあげてください。

 低学年の場合は、生活に密着した作文を書くことが多いので、自分の書きたいポイントをしぼって書こうとすると、字数が短くなってしまい、字数を増やそうとすると、時間の経過にしたがってだらだらと書いてしまうことが多くなります。調べられそうなことがある場合には、作文の内容に関係していることを調べて(低学年のときはくわしく調べると大変になってしまうのでかんたんでいいと思います)それを作文に書くと内容的にわかりやすく、おもしろいものになります。植物や生き物を題材にした作文を書いているときに、図鑑で調べた話を書いてくれる人がいますが、そのようなときの作文は、内容的にもおもしろく、まとまりのあるものに仕上がっていることが多いです。書いている作文の内容に関連した話として、前の話(自分の過去の体験談)や聞いた話をもりこむのは少しむずかしいと思いますが、調べた話なら低学年でも十分書くことができます。

 高学年では、前の学期の項目にもあってもう体験済みなので、どういうものかはわかっていると思います。毎回、どうしても自分の過去の体験談、または、お母さんから聞いた話を書くことが多くなってしまいますが、なるべくお父さんから聞いた話ももり込んでみましょう。例外もあると思いますが、一般的な家庭では、お父さんのほうが他人と接する機会も多く、子供が体験できない話を数多く知っているので、いろいろなものの見方を知ることができます。作文を書くときには、いろいろな角度から物事を見る姿勢は大事なので、お父さんと話をする機会をたくさん持ちましょう。電話指導の前までに、お父さんからその週に書く作文に関係のある話を聞いておきます。聞いたからといってそれを書かなければいけないわけではありません。自分が書く内容にあわせて、自分の過去の体験談を書くか、お母さんから聞いた話を書くか、お父さんから聞いた話を書くか、それ以外の話(学校の授業や電話指導など)を書くかを選べばいいのです。

 「前の話」「聞いた話」「調べた話」という項目は、作文の話題を広げていく練習ですが、作文をよりよい作品にするということだけでなく、いろいろな話を知ることにより、ものの見方を広げることもできるものなのです。ぜひ上に書いたことを実践してみてください。
 
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