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   ●1.理念の必要性
   ●2.人は何のために生きるか
   ●3.人間の生きる目的
   ●4.幸福に生きることは可能か
   ●5.就職の意義
   ●6.作文教室を開く
   ●7.寺子屋オンライン構想と作文教室の停滞
   ●8.パンデミックの発生とオンライン教育の広がり
   ●9.自分の前世
   ●10.自分の好みという身体性を生かす
   ●11.日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
   ●12.オンラインスクールの未来の展望
   ●13.森の学校オンラインとポッカリポンポン島
   ●14.世界の日本化
目標と方針2
2020年8月24日 文責:中根克明(森川林)
1.理念の必要性
 人は、行動するためには、行動に先立つ理念を持たなければならない。
 しかし、多くの場合、考えることが困難な理念を考えようとするかわりに、行動を手段化することで行動を正当化しようとする。
 例えば、試験に合格するために勉強をする。
 試験に合格することそのものの意義、更には人生の意義は考えられていなくても、勉強は手段とみなされることによって、とりあえず行動を始めることができる。
 しかし、真の持続的な行動をするためには、根本の理念から導き出した行動をするのでなければならない。
2.人は何のために生きるか
 15歳のころ、「人は何のために生きるか」という問いにぶつかった。
 具体的には、自分のために生きるのか、他人のために生きるのか、という問いだった。
 どちらに決めても納得できないところがあり、これは生涯のテーマとして考えて行かざるを得ないものだという予感があった。
 この問いは、それから20代のころも、30代のころも、折に触れて思い出した。
 理屈の上だけで言えば、他人のために生きることが自分のために生きることにつながるような社会を作ることになるのだろうが、そういう言葉の綾では解決できない問題として考えていた。
3.人間の生きる目的
 30代後半のころだったと思うが、ある日、人間の目的ということを考えていて、突然、「幸福、向上、創造、貢献」の4つが、生きる目的だとわかった。
 これが、今の自分の考えのひとつのバックボーンとなっている。

 私は、ヘーゲル哲学の影響から、物事を根本的に考える発想をするようになった。
 最初に考えたのは、人生の意義で、それは存在するものの意義から導き出せると思った。
 そこで、存在するものを考えると、その存在物は常に無に向かって存在していると考えられた。
 その無には4つの方向があり、第一は過去からやってくる無、第二は未来に向かう無、第三は内側に向かう無、第四は外側に向かう無だ。
 世の中にある物事をあてはめると、すべてのものは、この4つの無に向かう形で存在すると思った。
 これを人間存在に当てはめてみると、過去からの無が幸福、未来への無が創造、内側への無が向上、外側への無が貢献となる。
 だから、存在の意義を強化するには、この4つの無を強化することだと思った。
4.幸福に生きることは可能か
 確か1996年の始めのころだと思うから、44歳のころか。「人間が(それは自分が、でもある)幸福に生きることは可能か」という問いにぶつかった。
 この問題が解決しない限り、幸福に生きる選択をすることはできないと思ったので、仕事もほとんどせずに朝から晩まで何ヶ月もそのこともばかりを考えていた。
 そして、次第に、幸福に生きるためには、幸福な気持ちになることが必要で、幸福な気持ちを作るためには、意識的に幸福になる言葉を使う必要があると考えた。
 というのは、真の幸福とは、即自的な幸福であり、子犬が喜んで生きているような幸福であり、花が自分の美しさに喜んで咲いているような幸福であるからだ。
 餌がもらえたら幸福だとか、蝶が飛んできたら幸福だとかいうのではなく、存在そのものが幸福であることが、真の幸福の定義である。
 その即自的な幸福を自分の人生で実現するために、幸福であることを言葉にすることが必要であると思った。なぜなら、人間は自分の存在や自分の気持ちを直接コントロールすることはできないが、自分の発する言葉だけは、自分の意識でコントロールすることができるからだ。
 そして、その言葉として考えたのは、「ありがとう」と「うれしい」だった。「感謝」「幸福」のような漢語ではなく、「ありがとう」「うれしい」のような和語の方が、より日本人の感情つまり存在に密着した言葉であると考えたからだ。

 そして、この「ありがとう、うれしい」を声に出して唱えていると、時間はかかっても必ず、ありがたく、うれしい気持ちになった。
 15分唱えてそうならなければ30分、30分唱えてそうならなければ45分、というように時間さえかけて唱え続けていれば、最後はどんな幸福でない存在も根負けして、存在そのものが幸福になるのだった。
 最初のうちは時間がかかることもあったが、だんだん慣れてくると、気分があまり乗らない日も、この言葉を唱えるとすぐに元気になるようになった。
 やがて、特に何も唱えなくても、いつも明るい気持ちでいられるようになった。
 こうして、40代で、幸福な人生ということについて結論を出すことができた。

 2018年の冬ごろ、片瀬海岸で泳いでいて、毒のある魚に足を刺されたことがある。そんな時期に泳ぐ人はいないから、魚も驚いたのだろう。
 その痛みは尋常ではなく耐え難いほどのものだった。そのときふと、「生きているからこそ、こういう経験ができる。むしろ、これはありがたいことではないか」と思った。そう思ってみると、一瞬痛みがやわらいだ。
 その後、家に戻り、そういう毒は熱に弱いということわかったので、使い捨てカイロを貼って痛みを抑えた。しかし、そのカイロで低温やけどをしたため、傷跡はかなりあとまで残った。

 しかし、そういう経験をしたあと、痛いことや苦しいことがあると、自然に、「ありがとう」という言葉が自然に出てくるようになった。
5.就職の意義
 話はさかのぼるが、就職のときマスコミを目指したのは、明るい社会を作りたいという希望があったからだ。
 当時のマスコミは、今もそうだが、暗い話を好んで取り上げていた。
 そういう否定的な情報提供ではなく、もっと世の中を明るくする情報提供をする必要があると思った。
 しかし、講談社も、朝日新聞も、読売新聞も、すべて面接で落とされたので、マスコミの道はあきらめて、マスコミを通してではなく教育を通して世の中を明るくすることを考えた。
 就職に落ちてしばらくしてからすぐに気持ちを切り替え、大学生対象のマスコミ入社試験対策の作文教室を開くことにした。
 自分で仕事を始めたのは、いろいろな人の伝記を読むと、経営者になることが人間を成長させる大きな条件になるように思ったからだ。
 人間が社会で頭角を表すためには、エリート、タレント、ヒーローの3つの道がある。
 自分は、上から引き立てられるエリートにも向くし、多くの人からの人気を得るタレントにも向くが、自分で道を切り開くヒーローには最も向かない気がした。だから、ヒーローの道を進もうと思った。

 しかし、就職をしなければならないので、いろいろ考えた結果、時間があって、自分の苦手な事務の仕事ができて、しかし、絶対にそこに安住しないだろう思う学校事務の職についた。
 通常の会社にも受かっていたが、民間の会社に就職すると、たぶんどの職場に理不尽なことがあり、その理不尽なことに自分は我慢ができず、立ち上がり、みんなから推され、組合活動のようなことをするようになるのではないかと思った。
 そういう仕事にも意義はなくはないが、自分の希望する人生ではないので、民間に就職することはやめた。
 そのため、就職の世話をしてくれた大学の先生には迷惑をかけたと思うが、それはやむを得なかったと思う。

 学校事務は、結局6年間ほど勤めたが、その間ずっと独立のことを考え、作文教室の仕事を並行して行っていた。
6.作文教室を開く
 作文教室を開いたのは、人間にとって大事なのは創造で、その創造力を育てるのは作文だと考えたからだ。だから、作文教室の理念は、個性(創造性)、知性(思考力)、感性(人間性、共感力)を育てることだった。
 しかし、理念に沿った指導をすることよりも、生徒を集めて当面の指導をして教室を回していくことにほぼ百パーセントの力を使っていた。

 最も多いときは、港南台の通学教室だけでたぶん150人近くの生徒がいて、ほとんどを自分が見ていたが、このまま作文教室を続けても、全国的に大きく広げるには時間がかかることがわかってきた。
 2000年からインターネットがブレークし、通信の生徒も急に増えだしたが、それでも全国化にはまだ時間がかかるようだった。

 作文教育を全国に広げるために、森リンの開発などをしたのもこのころだ。(2003年)
 これは、続けていれば、日本標準の作文評価検定システムになる可能性もあったが、それでもかなり時間がかかることが予想された
 そもそもの最初の動機は世の中をよくすることだったから、もっと展開の早い、作文教室以外の仕事をする必要があると思っていた。
7.寺子屋オンライン構想と作文教室の停滞
 2011年3月11日に、東日本大震災があった。
 このとき、すべての心ある日本人と同じように、自分も、心から日本を守らなければならないと思った。
 そのために考えたのが、オンラインで全教科全学年の教育を行うという寺子屋オンラインの構想ことだった。
 当時、Googleがハングアウトオンエアというウェブ会議とyoutubeをリンクさせたサービスを開始していたので、これも当時サービスとして提供されていたGoogle+と組み合わせて、寺子屋オンエアというシステムを作った。(2013年ごろ)

 しかし、新しいオリジナルな仕事は軌道に乗せるのに時間がかかるため、もともとの作文指導の開発や改良はかなり遅れた。
 そのため、作文教室の生徒数は、このころからずっと横ばいを続けた。

 同じころ、言葉の森の作文教室とは別に、タレント評論家を宣伝の前面に出した作文通信講座が、朝日小学生新聞などに大規模な宣伝を始めていた。
 指導の内容は、従来の単に書かせて添削するだけの作文指導に、導入部分としての穴埋め問題を組み合わせたもので、教育の理念などはほとんど言葉の森の模倣と思えるものだったが、隔週の指導で料金が安いことを売りにしており、言葉の森の生徒拡大にも一定の影響を与えるようになっていた。

 2014年から、言葉の森の夏の合宿を行うようにした。
 設立当初も、湘南海岸にある柳島キャンプ場などで合宿を行っていたが、その後、しばらくは日々の指導が中心になり、合宿のような企画は行っていなかった。
 しかし、子供たちの交流のために、直に友達と触れ合う機会が必要だと考え、金沢区の野島青少年研修センターなどを利用して定期的に合宿を行うようになった。

 その合宿をもっと自由に定期的に行う必要があると考え、保護者から那須の土地の提供を受けたのをきっかけに、その土地とは別のところだったが、2016年末、那須合宿所を開設した。

 2017年ごろから、言葉の森の作文教室の生徒拡大は、学習塾などが作文講座を始めるようになったこともあり、更に停滞するようになった。
 一方、オンラインの少人数クラスは、自主学習クラス、思考発表クラブ(その後の創造発表クラス)とも、授業はそれなりに充実していたが、オンライン学習というものの敷居が高いせいもあり、大きく広がってはいなかった。

 2018年、生徒数は更に低下していたが、近所に貸事務所の物件が出たことをきっかけに、12月に言葉の森を移転した。

 2019年、新しい教室で言葉の森は再スタートしたが、生徒数の減少は更に続いた。
8.パンデミックの発生とオンライン教育の広がり
 2020年は、学習塾の作文講座が更に増えたことや、2020年教育改革に伴い英語教室やプログラミング教室が盛んになったことや、また、言葉の森自身が財政難から宣伝費を抑えたことなどが重なり、生徒数は更に減少した。

 このころ、自分は将来の言葉の森の方向を大体考え終わっていたから将来の展望はあったが、その将来の展望と現実の停滞が、つながりがないまま共存している状態だった。

 2020年に入ると、武漢から新型コロナウイルスが発生し、3月から都市圏の学校が相次いで休校になった。
 このため、これまでの自主学習クラスを改良する形で、オンラインで全教科の学習ができるシステムを作り上げ、オンラインスクールを立ち上げたところ、予想以上に多数の生徒が参加し、しかも参加した生徒の保護者から高い評価を得た。
 オンライン教育を行う学校や学習塾はほかにもあったが、ほとんどが授業をただオンラインで流すだけのものだったから、教える側の負担が大きいわりに、教わる側にとっては魅力のないものが多かった。
 IT先進国と言われるアメリカでも、オンライン教育は、授業をオンラインで流す形のものがほとんどなので、小学校低学年の生徒にはオンライン教育は無理があるという評価が普通だった。
 言葉の森のオンライン教育は、生徒数5人程度の双方向性のある自主学習+個別指導+相互交流の教育だったので、ほかにそういう形のオンライン教育を行っているところはなく、低学年の生徒も喜んで参加して、保護者からも高く評価された。

 新型コロナウイルスによるパンデミックは、日本ではその後大きく広がらず、むしろ休業の強制による経済的マイナスの方が取り上げられるようになりつつあるから、今後、学校の休校のようなことはないと思われる。
 しかし、別の第二波、第三波が来る可能性があり、また、この間のリモートワークなどでオンラインが身近になったこともあり、オンライン教育は今後広がる可能性が大きい。
 現に、夏期講習として行った夏のオンラインスクールは、私自身が6、7月と過労による全身アトピーからほとんど仕事や宣伝をしなかったにも関わらす、連日40~50名の生徒が参加した。
 夏のオンラインスクールは、初めての試みだったため、教材の選定や講座の時間割などに改善する余地があることがわかったが、基本は同じような形で、現状の何倍もの生徒数を確保できる見通しがついた。

 ここに、未来の展望と現在の行動とが結びつく道が明らかになった。
 だから、ここで、未来の展望を明らかにしたい。
9.自分の前世
 人間存在の本質は、それが身体性と結びついていることだ。
 そのため、人間は、物理的な空間と時間に結びつく形で生きている。
 また、身体は、その個別性に特徴があり、人間共通の感覚はもちろんあるとしても、細部の好悪は単純な共通化が困難ほど異なっている。
 だから、未来の展望とは、必ずしも単純に普遍的な展望ではなく、ほかならぬ自分の個別性に立脚した展望を普遍化しようとしたものである。

 さて、私は人に勧められて、自分の前世というものを見てもらったことがある。
 そのうちのひとりが言うには、自分は昔ポリネシアで元気に暮らしていたということだ。確かに、海や裸の生活が好きなことはある。また、江戸時代に夢のある青年だったが夢を実現することなく死んだということもあったらしい。また、侍で、若い殿の近くにいて、刀剣を作る仕事の監督をするような仕事をしていたということだった。晩年は、若者の教育をする仕事をしていたらしい。確かに、日本刀に興味があるし、若者の教育の仕事というのは今につながっている気もする。

 また、ある人に勧められて自分の本当の希望というものを瞑想で見ようとしたことがある。それは、ひとつは都会の公園の草むらの中に、いろいろな面白い仕掛けを作って子供たちを喜ばせるようなことだった。
 また、自分があの世に行ったあとの姿も瞑想で見ようとしたことがあるが、それは雲の上を飛びながらゆっくりと下界を見下ろしている情景だった。それは、自分のしたことが下界で結果となって残っていることに対する満足感だったらしい。
 小学生のころの遊びで、いちばん心に残っているのは、何ごっこという名前はついていなかったが、自分が天井裏で電気の配線をする遊びだった。
 また、「鉄人28号」という漫画で最も印象に残っている場面は、海竜型のロボットが攻撃されて皮がむけてみると、中から鋼鉄の機械的な本体が出てくるところだった。

 これらを総合して考えると、次のようなことがわかる。
 自分の前世に名前の残るような人はいなかったと思うから、前世など気にすることはなく、自分が次の後世に対してどういう前世となれるかを考えた方がよい。
 自分は、裏方でみんなが喜ぶような仕組みを作りたいと考えている。
 自分の関心のあるのは、裏側にある機械的な本体で、その動機は、表面にある自然の姿でみんなを喜ばせることだ。

 私はまた、東京にあるハンコ屋さんのおじいさんから、自分の特徴を教えてもらったことがある。
 その中で最もよく覚えているのは、自分が「いつも8年先を見ていて」「自分の足元を見ていない」「もっと現在の財産を残すことに関心を持たないとダメだ」ということだった。
 これは、たぶん自分の身体性と結びついているから直ることはないと思うが、こういう自覚を持ってそれを緩和することを考えておくことは大事だ。
10.自分の好みという身体性を生かす
 自分の前世などの客観的な自己描写を踏まえた上で、私が身体的に好きなことを挙げてみる。
 それは、新しいこと、感動、思索、創造、笑い、詩、科学、哲学、プログラミング、絵描き、工作、酒、読書、ディスカッション、皆の喜び、自然、山、川、海、孤独、朝日、夏、春、空、裸、動物、鳥、花、自然の美、野生生活などだ。
 自分の好きでないことも挙げてみる。
 それは、古いこと、運動、お喋り、男性、音楽などの芸術、高級な食事、絵画などの芸術、ファッション、自分の喜び、旅行、都会、ドライブ、スポーツ観戦、政治、社会問題、書道、冬、秋、都会生活、舞踊、名声などだ。

 こういう自分の好みという原初的な身体性を生かして社会貢献するためには、今はなき父母や父母の先祖や先祖の先にある天皇や天皇の先にある日本の神や八百万の神々が喜ぶようなことを、自分の創造性と思索性を生かして、実際に形ある運動として世の中に表していくことだ。
 なぜ、現実の人々の喜ぶことよりも、神々の喜ぶことを基準にするかというと、現実の人々の喜びの中には、エゴの喜びも含まれているからであり、神の喜びの方がより純粋であるからだ。
 神々と言っても、それは自分と自分の父母につながる遠い祖先のことである。
 また、なぜ世界の神々ではなく、日本の神々を基準にするかというと、世界の神々の意識はまだ様々に分化していて、ひとつの統一したものとしては考えられないからである。

 現在、自分が直接影響を与えることができるものは、主に言葉の森の教育と講師と生徒だから、言葉の森の仕事を通して自分の幸福と思索と創造を生かし、神々への喜捨の場として世界に貢献していくことが当面の行動になる。
 自分の幸福とは、自分の好きなことである。それは、必ずしも他の人の幸福と一致はしないが、他の人の幸福と原理的に相反するものではない。ちょうど、部屋の模様替えのときの模様をどうするかというようなものである。
 しかし、人源の行動の動機は、人間の身体性に結びついているから、行動の意義とともに、好みということが重要になる。その好みとは、先に述べた、「新しいこと、感動、思索、創造、笑い、……」などである。
11.日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
 日本の神々ということを考えた場合、自分は、確実な寄りどころとして、どこかに基準となる個別の実体を思い浮かべたいと考えた。
 自分の先祖には、平忠正がいることがわかっているから、その先には桓武天皇がいて、更にその先には古事記や日本書紀で表されている多くの神々がいる。
 その中で、自分に最も結びつきが強く感じられるものは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だった。
 高校生のとき、古文の時間に、「やまとは くにのまほろば たたなずく あおがき やまごもれる やまとし うるわし」の歌を見て懐かしさを感じたことがある。

 熱田神社は、草薙の剣が奉納されていることから、日本武尊を主祭神とする神社のひとつである。
 十年近く前、熱田神宮に行ったことがある。本殿の前に立つと、黄色い蝶が舞っていた。

 走水神社も、日本武尊と弟橘姫命(オトタチバナヒメノミコト)を主祭神としている。嵐の海に身を投げた弟橘姫の櫛が打ち上げられたと言う。
 2019年8月の終わりごろ、走水の海で早朝5時ごろによく泳いだ。
 途中にあった走水神社に時々寄ったことがある。10月の天皇の即位礼正殿の儀の日にも寄って祈願した。
 走水神社の奥の山道の途中に、「さねさし さがむのをぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と彫られた石碑がある。その歌を見て、弟橘姫の思いが自分のことのように伝わってきた。

 日本武尊は、古事記などによれば、ヤマトに服属しない西国と東国を平定した。
 それは武力によるもので、中には謀略によるものもあった。
 しかし、争いのない原初的な縄文時代が終わり、大陸から来た人々によって日本列島がさまざまな武力によって支配されていた時代には、ヤマトというより大きなもうひとつの武力による統一は、歴史的に必要なものであったのだろう。

 これを現代に当てはめてみると、かつての古代日本のように、地球的に規模を大きくした形で、世界はさまざまな武力によって支配されている。
 それらの武力を統一することが、これからの地球の課題だ。
 しかし、それを武力によって行うのでも、謀略によって行うのでもなく、より平和的で自然な方法で行ううために、新しい教育の方法が必要になる。
 日本武尊が日本の統一のために担った戦いが、これからの地球を統一するための新たな課題として必要とされている。
 そして、自分はその展望を考えている。
12.オンラインスクールの未来の展望
 言葉の森は、まずオンラインスクールを広げる。
 当面は、教科の勉強を中心とした自主学習だが、少人数のオンラインクラスという特徴から、学習の能率は高く、しかも参加生徒が友達として交流する機会がある。
 教育は、ブロイラーのようにただ知識や技能を詰め込めばよいというのではない。
 もちろん将来はより科学的な方法によって簡単に知識や技能が詰め込めるようになるかもしれないが、今の時点で教育を詰め込みと考えると、グローバル企業による教育の支配が成り立つようになる。
 しかし、人間は身体性を持っているから、単なる能率的な詰め込みよりも、場所と人との関わりに、より大きな関心を持つ。
 この場所や人との関わりは、時間が経過するほど、他とは代替できないものとなる。これが、古里の景観や幼馴じみや同窓生などという概念である。
 このため、これからのオンライン教育は、ひとつは生徒どうしの知的交流、もうひとつは地域での身体的交流を伴って行われる必要がある。
 言葉の森のオンライン教育は、現在は従来の主要な教科を中心に行われているが、枠組みがあれば、どのような学習もオンラインのシステムに乗せることが可能である。

 オンライン教育を普及させるために、当面は低価格で運営していく必要がある。特に、教育格差が広がっている現代では、低価格で良質の教育を提供することは、最優先の課題とも言える。
 すると、利益は低下するが、その分は講師資格講座の受講料でカバーする。
 勉強する生徒にとって受講料は単なる支出であるが、教える講師にとって講師資格講座の受講料は投資である。
 そのような前向きな考えを持てる人が、これからの教育を担う必要がある。

 未来の宇宙的教育では、画一的な詰め込みではなく、生徒一人ひとりの個性や関心を優先した教育が中心になる。
 そのために、作文教育、読書教育、創造発表教育を重視していく。
 これらの教育はまだ需要が少ないが、いつでも広げられる状態になっている。

 オンライン教育と並行して行うのは、地域における遠足や合宿の教育である。
 人間は、他の人間や自然との交流の中で成長し幸福を感じる。
 通常の知的交流はオンラインでグローバルに、少人数の同水準のグループで行い、ハレの日の遊び的交流は、地域でローカルに、異年齢が共存するグループで行う。
 そのために、合宿などが行える地域の分校、又は合宿所を全国に広げる。
13.森の学校オンラインとポッカリポンポン島
 合宿所のイメージは次のようなものである。
 自然の中で、川や海や山やプールや温泉があり、広い草原又は庭があり、誰でも乗れる馬やポニーがいて、犬がいて、よく馴れた鳥やリスやウサギなどの小動物がいる。
 プールや温泉では、いつでも裸で又はウェットスーツで泳げる。
 図書室にはたくさんの本があり、いつでも好きな本が読める。
 実験工作室には、さまざまな実験器具や工作道具があり、自由に使える。
 これらをワンセットで、システムとして作り上げ、森の学校オンラインとして全国に展開する。
 そして、この森の学校オンラインというシステムは、日本という枠を超え、世界に広げる。

 森の学校には、近くに居住する人も増えてくる。
 森の学校をより大規模にしたものが、ポッカリポンポン島という構想である。
 これは、メガフロートを利用して、島ごと、森の学校という学輪町を作るものである。
 町の形成には、城下町、門前町、宿場町など、ある中心を伴って生まれるものがあるが、学校を中心として新しく生まれる町が学輪町である。
 日本には、太平洋に向けて広い領海がある。
 この領海を活用して、メガフロートを浮かべ、そこでその島だけで完結できるような経済圏を作り、教育と観光と創造によって他の地域との貿易を図る。
 海の中の島であるから、主要な農水産物のひとつは、縄文時代によく利用されていたカキであるが、水田なども開発できる。
 タグボートをつければ、台風を避けるように移動することもできるから、固定した地面に住むよりも快適な天候に恵まれる。
14.世界の日本化
 このメガフロートが数多く作れるようになったら、海外から留学生を募集する。
 しかし、それらの留学生は、幼児や小学1年生を中心とする。
 地域によっては、両親のいない子供たちを引き取ることもある。
 それらの子供たちに、その母国の文化とともに、日本文化と日本語を教育する。
 その子たちが長じて母国に帰り、それぞれの国のリーダーとして、日本文化を世界に広げる役割を担う。

 言語には、伝達の役割と、ものの認識の仕方を身につける教育の役割とがある。
 伝達の役割の代表は、英語である。また、人口の多い中国語である。
 しかし、伝達という機能に関しては、当面は自動翻訳がカバーするようになり、やがてはテレパシー的なものがカバーするようになる。
 すると、言語の役割として最後に残るものは、ものの認識の方法としての教育的役割である。
 この教育的役割を、母音言語であり、人間の共感力の土台を形成する言語であり、しかも世界中のあらゆる言葉を翻訳としてカバーできる広がりを持った日本語が担う。
 そのために、日本語と日本文化の普及の先端となる世界中の子供たちの教育が必要になるのである。

 日本を守る本当の近道は、世界中を日本化することである。
 それが、これからの日本武尊の精神だ。

 2007年までの「目標と方針」は次のページにある。→https://www.mori7.net/mori/mh.php
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