ベニバナ2 の山 2 月 4 週
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○自由な題名
○ひとりでいることと友達といること
★清書(せいしょ)

○言葉というものは
 【1】言葉というものは、具体から抽象へと発達するものだと私はいったが、それはそのまま思考の成長の過程でもある。その成長過程は言葉や思考の「乳離れ」といってもいい。
 そもそも言葉とは命名から出発した。【2】子供が生まれると名前をつけるように、人間は自分とかかわりのあるものに片っ端から名を与え、こうして言葉はつぎつぎにふえていった。したがって、当初、言葉はかならず現実の具体的な事物に対応していた。【3】けれども、もし言葉がそれをあらわす現実の個々の事物と一対一の対応関係をつづけていったなら、言葉は無限にふえつづけねばならない。ひとたび、そうした一般化に気付けば、言葉はすくすくと成長する。【4】一般化したものをさらにまとめて一般化し、それをもっと広い類概念にくくってゆくというふうに。そして、この一般化によって言葉も思考ももの離(ばな)れし、現実の個々の事物から独立して、言葉独自の世界をつくりだすことに成功したのである。
 【5】具体的な動作、あるいは事物の状況や性格についても同様であった。たとえば、考えるという動詞は「考え」という名詞に抽象されることで実際の動作から離れてひとつの概念になり、美しいという性状は「美しさ」というふうに一般化されることによって具体的な対象から抜けだして独立の観念へと成長した。【6】「考える」から「考え」への変質は、言葉のうえではきわめてかんたんのように思えるであろう。「美しい」から「美しさ」への一歩前進はいとも容易にみえるかもしれない。けれども、その一歩こそ、千鈞の重みを持っていたのである。【7】それは新しい概念の獲得であり、高度な観念の誕生であった。
 どのような民族にあっても、言葉はこのような形で育ち、思考はそれとともに発展した。つかむという動作はドイツ語でベグライフェンbegreifenという。【8】何か物をつかむというその具体的な動作から、やがてベグリフBegriffという抽象名詞が生まれた。ベグリフというのは「概念」のことであり、つまり、手で物をつかむように、頭で事物をつかむ、それこそが「概念」なのである。∵
 【9】もしわが国が他国の言葉の影響をこうむることなく、日本語を独自に育てあげることができたとしたならば、日本語にはもっとやさしい形で多くの抽象名詞がつくりだされたことであろう。【0】つかむという動詞は手づかみなどというように、つかみという名詞を生みだし、それがドイツ語の場合とおなじように「概念」という抽象名詞になったかもしれない。ところが、幸か不幸か、日本語はいわば初期の発展段階で、いってみれば幼児期に、すでに高度な文化を持っていた中国語に深く影響された。それは日本語もまだ充分に使いこなせない幼稚園の段階で、いきなりむずかしい外国語を教えこまれたようなものである。中国から文物を受け入れた奈良時代の日本人が、漢語をどのように扱ってよいのか、それにどんな和語をあてはめたらいいのか、途方にくれたであろうことは察するに難くない。
 おなじとまどいは明治になって西欧の文化を輸入したときの日本人の対応においても見られる。英語やドイツ語やフランス語を明治の知識人たちは漢字の造語力を利用して苦心惨憺のすえ独特の和製漢語におきかえた。そして、第二次世界大戦後、日本人は三たびおびただしい外国語の海にただよう破目になった。この国を浸したアメリカ語の氾濫である。しかし、このときには日本人はもはや漢字の造語力によってそれを和製漢語に置きかえる努力を払わなかった。アメリカ語をそのままカタカナに表記してすませたのだ。その結果、日本語はおびただしいカタカナ語をかかえこむことになった。このようにして、日本語は、三たびにわたる外国語の流入のなかで悪戦苦闘してきたのである。

(森本哲郎の文章による)