ワタスゲ の山 6 月 4 週
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○自由な題名
○マスコミ
★清書(せいしょ)

○翌日も朝から夕方までの
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 一九世紀の自由主義は、危険とは誰の目にも見えるもので、危険回避は各自の自己決定に委ねればいいという考え方に立脚していた。危険の経験的自明性と自由主義は内側でつながっていた。すなわちJ・S・ミルの『自由論』が出された一八五九年には、見えない微生物が危険だという医学思想はまだ成立していなかった。病原体説の成立は、コッホによる結核菌の発見が一八八二年であり、パスツールによる狂犬病研究が一八八〇年以降である。自由主義の原則は、危険の経験的自明性というある意味では誤った想定の上に作られてしまった。
 その後、われわれは見えない危険の時代を迎えることになった。自動車を走らせると地球が温暖化する。だれもその因果関係を見ることはできない。手に取った黒土のひとかたまりにダイオキシンがどれだけ含まれているか、見ることはできない。トウモロコシDNAの中の危険な塩基配列も見えない。吹き寄せる風のなかの放射能も見えない。
 現代で安全性を理解するためには、「地球全体で人間が空気の中にすてる炭酸ガスが原因になって地球が温暖化し南極にある氷河が溶けて、二〇年後に太平洋のなかの珊瑚礁の国を水没させる」ということを理解しなくてはならない。
 この文章の中には見えないものがたくさんある。「地球全体」は見えない。「空気の中にすてる炭酸ガス」は見えない。「地球の温暖化」は見えない。「炭酸ガスという原因による温暖化という結果」は見えない。「南極の氷河」は見えない。「二〇年後」は見えない。「太平洋のなかの珊瑚礁」は見えない。それではどうして「ゴミをへらせば地球を守ることになるのか」が分かると言えるだろう。もしも、「疑わしいことを信じてはいけない」というタテマエを守るなら、「ゴミをへらせば地球を守ることになる」と信じてはいけないという結論になるのだろうか。
 そこで真理をつきとめることにしよう。「科学的真理は何度も同じ条件で実験を繰り返すことによって確かめられる」というタテマエにしたがうとする。石油をたくさん燃やして何度も実験をして見たら、「地球に砂漠が増える」、「たくさんの生物が絶滅する」、「人間が生きていくための地下資源がなくなる」、「地面の下がゴミだらけになって水が飲めなくなる」という結果が起こったと仮定∵しよう。やっぱり「ゴミをへらせば地球を守ることになる」というのは正しかったという結論がでるだろう。しかし、そのことを確かめる人間は、生き物のいない砂漠で食べ物も水もないという状況にいるかもしれない。
 「ゴミをへらせば地球を守ることになる」が本当かどうか。何度も繰り返して確かめることができない。環境問題は日常の経験だけでは判断がつかないので、高度の専門的な知識を学ばなくてはならない。情報依存的にしか因果関係は把握できない。悪い結果がでてしまった後では取り返しがつかないので、後悔しないですむように情報を捉えて事前に予防しなくてはならない。
 どんな事柄でも「悪い結果がでないように完全に予防すること」はとてもむずかしい。「風邪の予防」の場合には、予防に失敗してもあまり心配はいらない。予防に失敗しても風邪は必ずなおるからである。ところが「砂漠が増える」とか「珊瑚礁が水没する」とか「明日から使う石油がない」とか「鯨が絶滅する」とかということは、予防に失敗したら永遠に取り返しがつかない。完全予防という側面からも安全の情報依存が成立する。
 ベックは、その『危険社会』(一九八六年)で「ヒューム以後明らかとなったように、因果関係は本質的に知覚を通じては推定できない。因果関係の推定はあくまで理論に基づくのである」と述べている。
 安全性について情報依存型の社会を作りあげることなしには、われわれは安全を確保できない。安全性は古典的自由主義のタテマエからすれば自己決定権の範囲に含まれる。これは自分の生命の自己防衛権と同種のものと受けとめられている。実際には、安全であるか否かは経験的に自明ではなく、信頼できる情報に依存している。

 (加藤尚武『価値観と科学/技術』)∵
 【1】翌日も朝から夕方までのおよそ七時間程度の発表を終え、そして再び、夕食後を迎えた。私は何か特定のテーマに沿って、学生達と討論することを考えなかったわけではなかったが、昨日の風景が脳裏から離れなかった。【2】昨日のあの不思議な風景は教育者としての私よりも、実験心理学者としての私をはるかに刺激していた。昨日と同じような状況下で、二日目の夜を学生達がはたしてどのように過ごすのだろうかという疑問の誘惑に、私は、抗しきれないでいた。【3】そこで再び昨日と同様の自由時間を彼らに与えることにした。そして、結果は再現された。昨日と同様に。二日目もゲームが深夜まで展開された。
 「今の彼らにはゲームをするよりも、もっと大切なことはないのだろうか。【4】例えば自分の関心のあることを人に聞いてもらったり、人の話を聞いてみたいとは思わないのだろうか」。この再現された不思議な風景を説明するためにいささかの考察を試みようとしたが、結局成功しないまま、私は浅い眠りについた。【5】そして私の愚問は、何の解答をも見いだせないままに、初秋を迎えてしまっていた。
 ところが私は一つの解答らしきものへの指針を、合宿後しばらくして研究室を訪れた一人の学生との会話の一端に、見いだした。【6】その学生の言葉を要約すると「ある種のシリアスな話題を気軽に口にしてはいけない。それは相手に重荷を背負わせることになるかもしれないし、もし相手が話に乗ってこなかった場合には、自分だけが浮き上がってしまうかもしれないから」。【7】言葉を補っていえば、学生達はシリアスな話題で相手を困らせたくもないし、自分自身も困りたくはないのである。そして彼らは他人も自分も傷付けたくはないのである。また今までに十分、不自由な思いをしてきたから、過去の不自由さを取り戻すために、今眼前のそれが何かわからないままに、とにかく今をこなすのに忙しいのである。【8】シリアスな状況に関わって困るということは立ち止ることであり、立ち止るということは彼らにとって、無条件に「いけないこと」なのである。少なくともゲームをしていれば、その世界で擬似的にシリアス∵な状況に陥るとしても、現実の人間関係の世界でのわずらわしさに関与する機会を回避できるのかもしれない。
 【9】結論を急げば、彼らは限りなく優しいのである。ただ他人に対してだけではなく、自分に対しても。また彼らは幼いのではなく、幼い時期にするべきことを十分にさせてもらえなかっただけなのかもしれない。【0】私にとって不思議と思えた風景を私自身の大学時代の記憶に求めたことが間違いであって、その原風景を私は高校や中学時代の記憶に求めるべきだったのである。
 学生達の行動に対するこうした私の拡大解釈は、しかし、私を次のような杞憂へと誘う。小学校の時代に、やりたかったけれどもできなかったことを、中学校の時期へと先延ばしし、中学校でやろうと思ってもできなかったことを、高校へと先延ばしにし、高校でできなかったことを、大学に、大学でのことは、大学院へと、あるいは社会生活へと、順次先延ばしにしているのではないだろうか。(中略)
 「幸せの姿はたった一つであるが、不幸の姿は数限りない」。しかし、現今の世情を眺めると、幸せの姿は曖昧すぎて記述できず、不幸の姿はまた多すぎて記述できない。とすれば、私達には「困って立ち止る」という贅沢は許されていないのであり、そのために逆説的な意味で、学生達は困らないための智恵としての擬似実践力を身に付けてきたのではないだろうか。何故なら、男女として話すことも、個人的な重荷を語ることも聞くことも、それらいっさいの作業は、すべて状況をシリアスに捉え、吾と彼とを抜き差しならない人間として認識することを前提として始まるからである。すなわち、そうした状況認識は畢竟、吾も彼も心身両面にわたって傷つくべき生身の生きものであるという認識の共有を求めているのである。

 (斉藤洋典『幸福の順延方程式』)