ツゲ の山 12 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○Kがのぼれるかぎりの
 Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう水夫たちの声がしだいに近づいてきた。
 Kは枝のしげみに、身体をかくすようにして彼らの声に注意を配っていた。
 水夫たちが、家の前にあらわれた。
 水夫たちは、声高にしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で仲間に告げていた。
 水夫たちは雨戸をたたいたり、交互に入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
 Kはそれを見て、彼らが悪者でないことを心に感じとった。
 家の中から、何の返事もないので、水夫たちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
 水夫の一群の中で、いちばん最後に、入口をのぞいた男が榕樹の樹の下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズック製のからバケツをさげていた。ほかの水夫たちより少し年をとった白人であった。彼はズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけた胸や、腕の汗をふいた。オールのように太い腕は日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この水夫は榕樹のかげで少し涼んでいくつもりらしかった。
 あんのじょう、彼は煙草をとりだして火をつけた。
 Kは息をのんで、見つめていた。
 男は、煙草をうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、榕樹を眺めまわした。
 Kがあわてたしゅんかん、持っていた枝がゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
 Kと西洋人の水夫は、視線をあわせてしまっていた。∵
 水夫は、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい笑いを浮かべていた。
 Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
 Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。腕には金色の毛が生えている。
 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
 Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
 Kは、バケツを持って井戸ばたへ案内した。
 その男は、大声を出して仲間を呼び集めた。水夫たちは騒ぎながら、ひきかえしてきた。彼らは、大げさすぎるほどの表情で喜びの気持ちをあらわしていた。
 Kがつるべで水をくもうとすると、水夫たちは、いっしょに手伝って、勢いよくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を満たしてひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった水夫と握手した。
 エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から姿を消した。
 Kは最初の夕方、エビア号を見て以来、美しい帆船(はんせん)の姿を二度と忘れることはできなかった。

(庄野英二「白い帆船(はんせん)」)