チカラシバ2 の山 8 月 2 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

★自由な題名
○何かを作ったこと
★つまみ食い、よその家にとまったこと
○みずでっぽうで遊んだこと
○中国の人々は(感)
 【1】中国の人々は、日本人のことを、人まねはじょうずだけれど自分では何もつくり出す力のない国民だ、と言っているそうです。江戸時代よりまえの文化は、みんな中国の文化を手本にして、まねたものにすぎない。【2】また、明治時代から今日までに築きあげた新しい文化は、これもヨーロッパやアメリカの高い文化をじょうずにまねたものだ、と言うのです。【3】なるほどそう言われてみると、そうかもしれないな、と思いますが、ほんとうに日本人は、そんなつまらない、力のない国民なのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 【4】なるほど日本の文化のもととなるものは、ほとんど中国から、また西洋からとりいれたものです。しかし日本人はけっしてそれをそのままの形でまねしてきたわけではありません。【5】それを日本の土地に、日本人の生活に、そして日本人の気持にぴったり合うように、手を加え、改良して、りっぱなものに仕上げていったのです。そのいちばんよい例は、漢字です。【6】漢字がはじめて中国から伝わったころには、漢文体で文章を書いたのですが、それでは日本のことばをそのまま表わすことができません。そこで、必要なときには漢字をつかって、日本語の音を一字一字書くことも行なわれるようになりました。【7】奈良朝のころにできた『万葉集』をみると、日本の歌がすべて漢字で表わしてあります。
 たとえば、有名な山上憶良の「貧窮問答歌」のはじめの部分は、つぎのように書いてあります。
 【8】風雑 雨布流欲乃 雨雑雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆(かぜまじりあめふるよるのあめまじりゆきふるよるはすべもなくさむくしあれば)
 まるで、お坊さんの持っているお経(きょう)の本みたいですが、これで、
 風まじり 雨ふる夜の 雨まじり雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば
と読むのです。【9】なるほど、こんなふうに漢字をつかえば、ちょうどローマ字をつかうようなものですから、どんなことばでも表わすことができます。
 於奈加我須以多(おなかがすいた)
 なんと読むかわかりますか。「おなかがすいた」です。【0】こんなぐあいにあなたの名まえを一字一字書いてごらんなさい。なかなか∵めんどくさいでしょう。まったく日本のことばを表わすのに、こんなふうに一字一字漢字をあてていくのでは、書くだけでもたいへんです。そこで平安朝のはじめごろになると、もっと楽に、かんたんに日本のことばを書き表わすことができるようにいろいろくふうが重ねられ、できあがったのが平仮名と片仮名です。たとえば、「阿(あ)」という漢字のヘンだけとって、「ア」ができ、「安」という字、これも「あ」の音を表わすのにつかった字ですが、それを草書で書いたものから「あ」という平仮名が生まれました。同じように「於」から「オ」「お」、「加」から「カ」「か」ができたのです。これなら書くのも楽で、覚えるにもかんたんです。どちらも漢字がもとになっていますが、日本人でなければ読めないし、またつかうことのできない新しい文字です。この新しい文字がさかんに使われるようになると、日本の文化は一段とさかえることとなりました。世界に誇る『源氏物語』や『枕草子』のようなりっぱな小説や随筆も、このような仮名(かな)をつかって自分の気持や考えを自由に、楽に表わすことができるようになった結果生まれたのです。また、筆でりっぱな文字を書く書道にしても、漢字を書くのでは中国人にはとうていかないませんが、まるで絵のように美しく書いた仮名(かな)文字は日本の書道として、自慢してもよいものでしょう。
 人まねがじょうずだということは、ただそれだけで終わってしまうのならばつまらないことです。しかし、はじめはまねをしても、自分でくふうを重ね、改良を加えて、もっとりっぱなものに仕上げていくことができるならば、けっして恥ずかしいことではないのです。日本人には、むかしから、そうしたすぐれた才能がそなわっているのです。

「日本人のこころ」(岡田章雄著 筑摩書房)より