チカラシバ2 の山 8 月 1 週
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○自由な題名
○星空を見たこと
★虫をつかまえたこと、おにぎりを作ったこと

○なぞの女王ヒミコが(感)
 【1】なぞの女王ヒミコが使いをおくったのは、黄河の流域にあった魏の国でした。そのころには、南の揚子江の下流の地方に呉(ご)の国があり、またその上流の、山の多い地方には蜀の国がありました。この三つの国を三国といいます。
 【2】南の呉(ご)の国は魏の国をこまらせようとして、南朝鮮の韓国と手を結んでいました。そこで魏の国でもこれと対抗するため、その韓国の(海をこえて)向こうにあるヤマタイ国を味方につけておこうとしたのです。
 【3】漢民族は、むかしから自分たちのいる地方を「中華」と呼び、自分たちがいちばんすぐれた民族だとしていました。(中華料理とか中華そばとかいう時の、あの中華です。)【4】そして、まわりの地方にいるほかの民族をみんな野蛮人あつかいして、それぞれ東は東夷、北は北荻(ほくてき)、南は南蛮、西は西戎、とよんでいました。【5】日本民族は、漢民族から見れば東夷、つまり東のほうの野蛮人にあたるわけです。日本民族はべつとして、ほかの民族は、みんなひろい大陸の、陸続きの土地に住んでいます。【6】ですから漢民族としては、中華を誇りにしてはいても、いつもまわりの地方にいる野蛮人、つまり、ほかの民族がこの中華の土地に攻めこんでくるのを防ぐために、心を悩まし、力を尽くさなければならなかったのです。
 【7】三千年にわたる長い中国の歴史は、また漢民族と、まわりの違った民族との間のはげしい争いの歴史でした。【8】世界に名高い万里(ばんり)の長城は、あの不老長生の薬を求めたという秦(しん)の始皇帝が、満州(中国の東北部)の地方にいた匈奴という野蛮人の攻め寄せてくるのを防ぐために、大がかりな土木工事を起こして築いた城壁なのです。
 【9】中国の歴史を調べてみると、多くの王朝がさかえたり滅びたり、また分裂していくつかの王朝がたがいに争ったりしています。∵【0】すぐれた王様によって国が統一され、漢民族の勢いがさかんになると、大がかりないくさを起こして、進んで北や西のほかの民族をおさえつけました。しかし王朝の勢力がおとろえると、ほかの民族が攻めこんできて、漢民族をおさえつけてしまいます。遠くヨーロッパまでその勢力をのばした元の国や、江戸時代から明治のころにかけて中国にさかえていた清の国などは、モンゴールや満州の民族が支配していた国です。
 中国を中心にした東洋の歴史を勉強するときに、いちばんわたしたちを悩ますのは、こうした漢民族とほかの民族との争いの問題ですが、大陸でたえずこうした民族の争いがくりかえされていたことが、じつは日本の平和のために、かえってつごうのよいことだったと言うことができます。こうした中国での争いの影響を受けて、陸続きの朝鮮半島はたびたび平和を乱され、時にはほかの民族の支配を受けたことさえありました。しかし、日本はそうした不幸な目に会うこともなく、今日まで独立の歴史を守りつづけることができました。これはいうまでもなく、わたしたちの祖先の大きな努力によるものですが、同時に、地図の上で見られるように、日本の国の位置ということにも関係していることです。

「日本人のこころ」(岡田章雄著 筑摩書房)より