チカラシバ2 の山 7 月 3 週
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○自由な題名
○お父さんやお母さんと遊んだこと

○暑い日
★いまから二千二百年ほどむかしの(感)
 【1】いまから二千二百年ほどむかしの話です。中国に、秦(しん)という国があって、始皇帝という王様が、大きな勢力をふるっていました。【2】その宮殿は、中国の歴史の中でこれほど大きなものはなかったと言われているほど、りっぱなものでした。【3】なにひとつ不足のなかったこの皇帝でも年をとるということだけはどうすることもできません。【4】「なんとかして年をとらない方法はないだろうか」と考えた皇帝はおしまいに家来に言いつけて、仙人のところへ行って、不老長生(ふろうちょうせい)の薬、つまり年をとらないで、永久に死なない薬を手に入れさせることにしました。【5】学者のことばによれば、東のほうの海に蓬莱山という島がある。その山の中には仙人が住んでいて、そのふしぎな薬を作っているのだということでした。【6】そこでたくさんの船が用意されて、どこかわからない蓬莱の島をさがしに東へ東へと向かったのですが、その島はとうとう見つからず、その仙人の薬も手にはいらなかったということです。その使いのひとりに徐福という家来がいました。【7】その徐福が日本に渡ってきて死んだという伝説が残っています。和歌山県の新宮(しんぐう)市に、その徐福の墓と伝えられているお墓がありますが、ほんとうにその人の墓かどうかわかりません。
 【8】これは中国の人々でさえ、まだ日本の島を知らなかった大むかしの話です。しかし中国では、太陽ののぼる東の海、その海の向こうに、ふしぎな力をもった仙人の住む島があると考えられていたようです。
 【9】ところが大むかしの日本人は、反対に西の海の向こうに理想の国があるように考えていたのです。それは「常夜(とこよ)の国」と呼ばれていました。太陽が沈んでしまう西の海の向こうですから、そこはいつも暗い夜の国なのです。【0】それでも日本人にとっては、いつも西の海をこえて行った大陸が、あこがれの国だったようです。どうしてでしょうか。
 こんなふうに考えてみることはできないでしょうか。太陽は東の∵海からのぼるとはいっても、その海はひろい太平洋で、いつも荒波がうち寄せています。小さな船では、遠く乗り出すことなどはとうていできません。しかも、遠くまで海がつづいているばかりで、島の影も見えません。海の向こうから敵のおそってくる心配も、まったくありません。ですから、東の海はただ自然のおそろしさがあるばかりで、ほかのことなどは考えなかったのでしょう。
 それにくらべて、西の海は波もおだやかです。船でこぎ出して行けば、壱岐や対馬のような島々があり、その先には、もう朝鮮半島の山影が浮かんでいるのが見えます。半島に渡れば、そこには日本人の知らない高い文化がさかえていたのです。また、半島のほうから渡って来る人々も多かったでしょう。その人々の生活や風俗は、日本人にくらべてずっと高いものだったにちがいありません。そして、大陸の影響を受けて、日本の文化はいつも、西から東のほうへと進んでいきました。土器の作り方にしても、農業の始まりにしても、また鉄の道具を使うことにしても、いつも文化の流れは、西から東へと流れていました。日本にとっては、文化の光は、太陽の光と反対に、いつも西の海の向こうから、かがやいてきたのです。そこで、日本人の理想の国は西の海の向こうにある、と考えられたのだと思われます。

「日本人のこころ」(岡田章雄著 筑摩書房)より