ススキ2 の山 11 月 2 週
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○自由な題名
◎お父さんやお母さんと遊んだこと
★買い物に行ったこと、わたしの先生

○エジソンの工場は(感)
 【1】エジソンの工場は、まるで、電気機械の発明工場でした。よいことをかんがえつくと、エジソンを中心に、工場の全員がそれに力をいれます。
「エジソンの工場のとけいには、針がなかった。」ということばがあります。【2】つまり、その工場では、みんな、時間をわすれてはたらいたのです。
 エジソン自身が、時間などからはなれてしごとにうちこむ人でした。六十時間ぶっつづけでしごとにとりくんだことさえあります。【3】みんな、エジソンをそんけいしていましたから、だれ一人もんくをいうものはなかったのです。
 エジソン工場の一室に、そこをかりて実験室にしている発明家がいました。【4】かれは助手を一人つかっていましたが、この助手のはたらきぶりは、じつにたいへんなものでした。
 エジソンは、ある日、この助手を、そっとよびました。
「きみ、いまいくらではたらいていますか。」
「週二十一ドル五十セントです。」
【5】「どうだろう。六十ドルだすが、わたしのところの工場かんとくにきてもらえないだろうか。」
 男はためらいました。
「さあ、……わたしにつとまるかどうか……。」
 しかし、エジソンは、むりやりにしょうちさせて、二つの工場をかんとくさせました。
【6】「わたしは、これほどの実行力のある人を見たことがない。」
と、エジソンはかたっていますが、かれは三か月のうちに、工場の生産を二ばいにあげてしまいました。べつに、あたらしい機械や人手をふやしたわけではありません。【7】ただ、機械をはやくつかうことを実行したのです。
 まだ二十五さいのエジソンでしたが、もう、これだけ、人を見ぬく力をもっていたのです。そうして、かれとその工員たちは、つぎつぎに発明し、それを、つぎつぎに製品にして、町におくりだしたのです。
 【8】アメリカの特許局では、エジソンのことを、「特許局への道があつくなるほどやってくる青年」とよびました。はじめて特許を∵申請した一八六八年から、一九一〇年の夏までに、エジソンの名でだされた特許ねがいが千三百二十八。【9】へいきんすると一年間に三十二、つまり、十一日ごとに一つの発明が生まれていたことになります。
 いちばんはげしかったのは、一八八二年でした。その一年間に、特許ねがいが百四十一、許可されたのが七十五。計算すると、三日に一つの新発明が生まれたことになります。【0】

(「エジソン」 崎川(さきかわ)範行著 講談社 火の鳥伝記文庫より)