セリ の山 2 月 4 週
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○自由な題名

★清書(せいしょ)

○人類の祖先
 約六千五百万年前に恐竜が絶滅すると、哺乳類が急速に繁栄しはじめました。最初の哺乳類は、今のネズミに似ていました。哺乳類は、体温を一定に保つしくみを体の中に持っていたので、いろいろな環境で暮らすことができ、多くの種類に分かれていきました。
 アフリカでは、サルの仲間である霊長類が、さまざまな進化をしていきました。その中でも、森の中で暮らしていた霊長類が、私たち人類の祖先だと言われています。彼らは、果物などを食べて、一日のほとんどを木の上で過ごしていました。木の上は食料がたくさんあり、猛獣から身を守るのにも都合がよく、暮らしやすい場所だったと考えられます。
 森の木の上に住んでいた霊長類が、どのようにして人類の祖先に進化したのでしょう。これについては、次のような説があります。
 ちょうどこのころ、火山が活発に活動し、大きな地震が起こり、アフリカ大陸を南北に貫く「アフリカ大地溝帯」が形成されました。富士山よりも標高の高い、長い山脈ができたことによって、その東側はだんだん乾燥し、もともとジャングルだった場所が草原に変わっていきました。
 草原で生きていくために、霊長類は木から下りなくてはなりませんでした。豊かな森と比べると、草原は食料が少ない上、猛獣にも見つかりやすく、おそわれる危険がありました。獲物をつかまえたり、敵をいち早く見つけて逃げるためには、より遠くを見渡す必要があったのでしょう。草原で生活を始めた霊長類は、二本足で立って歩き始めました。これが人類の祖先です。
 直立二足歩行を始めたことで、人類の祖先は、ほかのサルとは明らかに違う道を歩み始めました。彼らは、自由になった前足を∵手として使うことができるようになりました。今から三百万年前の猿人(えんじん)、アウストラロピテクスは、石器を使っていました。これが道具の始まりです。また、約五十万年前の原人は、火を使って生活していたことがわかっています。その後に出現した旧人のネアンデルタール人は、死者を埋葬する習慣がありました。
 約四万年前に生活していた新人のクロマニヨン人は、現在の人類とほとんど変わらない姿をしていました。彼らはすでに言葉を話し、協力して狩りや漁をして暮らしていたのです。クロマニヨン人は、ナイフ、刀などの石器や、美しく彫刻された骨角器を作り、槍や弓矢を発明して集団で狩りを行なっていました。わなをしかけることで、マンモスやシカなどの巨大な獲物もつかまえることができました。彼らの暮らしていた洞くつには、今も、狩りの成功を祈って描いたと思われる動物の絵が残っています。
 このように、アフリカ大地溝帯の東側の厳しい環境が、人類の祖先を生み出しましたが、西側ではどうだったのでしょうか。食料が豊富なジャングルの中で暮らしてきた霊長類は、現在まであまり変わらない姿を保ってきました。これが、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなどの、人類と最も似かよった生物とされている類人猿です。
 人間は木から下りることによって、サルと分かれました。しかし、今でも昔の時代が懐かしくなることがあります。公園の木を見るとふと登りたくなったり、木の上でキャッキャッと叫んでみたくなったりするのはそのためです。

 言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会(κ)