レンギョウ の山 1 月 4 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○規則のよい点悪い点
★清書(せいしょ)

○なにぶん絵本のことで、
 なにぶん絵本のことで、生々しい絵の印象も手伝ったにちがいないが、「安寿(あんじゅ)と厨子王」の話は私には暴力にも似た一撃であった。グレアム・グリーンが『失われた幼年時代』で言っているように、「本というものがわれわれの人生に深い感化を及ぼすのは、おそらく幼年時代だけである。それ以後は、感心したり、面白がったり、これまでの見方を修正したりすることはあっても、多くはすでに考えていたことを本で確認するにとどまる。恋をしていると、自分の顔かたちが実物以上によく見えるような気がするのと同じである。」
 私が鴎外の『山椒大夫』を読んだのは、大人になってからであった。そして今度また久しぶりに再読したが、結末のところを見て、そうかと思った。あの母親は、可愛いさかりの娘と息子をさらわれた哀しみに夜も昼も泣いて暮らすうちに、とうとう目がつぶれてしまった、というくだりがあるような気がしていたからである。むろん、作者はそんなことは書いていなかった。書く必要もなかったにちがいない。私はたぶん昔の絵本でそう読んだのか、でなければ自分でそう考えたのであろう。いずれにしても、私の心には絵本のイメージのほうが生きていたのである。
 私が鴎外の結末でいい加減に読み過ごしていた箇所は、もう一つあった。作者はこう書いている。
「女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目が開(あ)いた。
 『厨子王』という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。」
 それは厨子王が姉の形見に肌身離さず持っていた守り本尊の力であるという。そこが、ほとんど私の印象にはなかった。絵本のほうはどうであったかは、もう覚えていない。子供心にも、この最後の奇蹟はいくぶん付けたりのように思われたかもしれない。今の私には、親の一念、子の一念とはそれほどのものかもしれないと思う気持ちもある一方で、不幸な女の盲目という書き方に、何か古い物語∵の慈悲のようなものを感じる。ハッピーエンドがつまらぬというのではなく、目が明くことのほうが残酷な場合も人生にはあるだろうからである。
 作者鴎外は、この作品の発表(大正四年)と同時に『歴史其儘(そのまま)と歴史離れ』という文章を書き、自ら詳しい解題を行っている。そして、「山椒大夫のような伝説は、書いて行く途中で、想像が道草を食って迷子にならぬ位の程度に筋が立っているというだけで、わたくしの辿って行く糸には人を縛る強さはない。わたくしは伝説そのものをもあまり精しく探らずに、夢のような物語を夢のように思い浮かべて見た」と言っている。
 「夢のような物語を夢のように」というその夢は、ある特定の個人が見る夢というより、われわれ日本人の誰しもが民族の血の中に受け継いできた古い歴史の余映のようなものであろう。夏目漱石も短編集『夢十夜』(明治四十一年)で、われわれの現在を支配する過去の恐ろしい姿を、不条理なイメージの断片を突きつけるようにして、あばいて見せた。伝説のみならず、お伽噺や民話や怪談のたぐいがいつの世にも子供の心をとらえるのは、子供自身の血の中に、自分が生まれる何代も前の記憶を呼び起こそうとする本能が潜んでいるからだとでも考える他はない。

(阿部昭『短編小説礼讃』)