ライラック の山 5 月 4 週
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○自由な題名
○計画
★清書(せいしょ)

○地球上の二酸化炭素は
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 書物はいつの世にもゆっくりと読むべきものだと私は思う。こんなにも本がたくさん出ているのに、と言うかもしれない。しかし、同じようにレコードだってたくさん出ている。展覧会も至る所で開かれている。だからといって、音楽を能率的に聴き、絵画を急いで見る人はいまい。それなのに、こと本に関する限り速読を目指すのはどういうわけなのだろう。おそらく、書物というものが鑑賞するというより知識の伝授の媒体と思われているせいであろう。確かに本とレコードでは違う。本のほうがはるかに多目的である。鑑賞するというよりは、情報を得たいために読まれる本のほうがずっと多いだろう。そんなことは十分承知の上で、なおかつ、私は遅読(ちどく)を勧める。 
 速く読むということは一見能率的のように思えるが、結局は損をすることになる。私も必要に迫られて急いで読まざるを得ないことがある。ところが、急いでよんだ本に限って、あとに何も残っていない。そこで、もう一度読み直さなければならないことになる。そして、改めてゆっくり読み直してみると、最初に読み飛ばしたそんな読書が何の意味も持っていないどころか、全く読み違えていたことに驚くのである。こうなると、速読するよりは読まないほうがましである。なぜなら、誤解は無知よりも有害だからである。
 そんなことを言っても、必要に迫られて読まなければならない場合が多いではないか、と言うかもしれない。しかし、必要に迫られたらなおのことゆっくり読むべきである。必要に迫られる以上、あくまで誤解は許されないからだ。たとえ明日までにどうしてもこの一冊を読み上げねばならないという必要に迫られた場合でも、ゆっくりと読み、読めるところまで読んで本を閉じたらいい。そのほうが、いい加減に斜め読みをするよりは、はるかに得るところが大きい。
 遅読(ちどく)を勧めるもう一つの理由は、いくら速く読んでみたところでたかが知れているということである。どんなに速読の技術を身に付けたところで、二倍のスピードで読めるものではない。仮に二倍の速度で読めたとしても、そうした速読から読み取ることができるのは、ゆっくり読んだときの二分の一に過ぎない。つまり、半分しか読み取らないのだから二倍の速さで読めるわけだ。しかも、その半∵分が前に述べたように誤読に陥りやすいとすれば、速読というものがいかに無意味であるかに気付くであろう。実際、本というものはそんなにたくさん読めるものではない。わずかな本しか読めないからこそ、何を読むかその選択が大切になる。つまり、ゆっくり読むことは、それだけ良書を選ばせる効果を持つのである。
 わずかな本しか読めなかったなら、それだけ視野は狭くなり、とても現代に追い付いていけないと言うかもしれない。確かにそういった不安が現代人を速読へと駆り立てている。だが、そんなことは決してない。十冊読む人よりも五冊読む人のほうが視野が広く、立派な見識を身に付けているというようなことはざらにあるのだ。読書の価値は何冊読んだかで決まるのではなく、どんな本をどのように読んだかで決まるのである。
 私は、読書とは「葦(よし)の髄から天井をのぞく」ことだと思っている。ふつうこの言葉は、そんなちっぽけな穴から天をのぞいてみても、広大な天のほんのわずかな部分が見えるだけだ、とその視野の狭さを笑ったものと解されている。確かにそういう意味だろう。しかし、実際にのぞいてみると分かるが、葦(よし)の髄からでも結構天は仰げるのである。いや、むしろ小さな穴からのぞいたほうが対象がよく見えることも多い。 
とにかく、本はゆっくり読むに限る。ゆっくり読めば一冊の本はどれほど多くを語ってくれることか。読書とはただそこに書かれていることを理解するという単純な作業なのではなく、いかにして、書物により多くのことを語らせるかという技術なのである。それは、優れたインタビュアーが相手からおもしろい話を十分に引き出すことができるようなものだ。性急な読書では本は何も語ってくれはしない。仮にその内容を要領よくつかんだとしても、ただそれだけの話である。それでは本を読んだというより、本をつかんだというに過ぎない。
 読書とはあくまで著者と読み手の対話なのである。読み手が時間をかけてゆっくりと問いかけなければ、著者は、それこそ通り一遍の答しかしてくれないのである。

(森本哲郎「遅読(ちどく)術」)∵
 【1】地球上の二酸化炭素は、大気と陸地、海洋とのあいだを出入りしています。
 陸地の植物は、光合成による無機物からの有機物生産(総一次生産といいます)の結果、一年に炭素換算で一二〇〇億トンの二酸化炭素を大気からとりこんでいますが、同時に呼吸のために一一九六億トンを排出しています。【2】森林破壊などの土地利用変化で一六億トンを排出していますが、植林などをふくむ陸地での吸収で二六億トンの炭素を大気から固定しています。つまり陸地では、降水中の炭素量二億トンもふくめて一六億トンを大気からとりこんでいることになります。海洋は、さしひき一六億トンを大気から吸収しています。
 【3】一方、石油、石炭など化石燃料の燃焼によって、六四億トンの二酸化炭素が排出されますが、吸収はありません。その結果、自然のバランスをこえて、さしひき三二億トンの炭素が排出されて大気中の二酸化炭素を増やしつづけ、これが地球温暖化をひきおこしているとみられます。
 【4】バイオマスは、木を切って燃やして二酸化炭素を排出しても、植林をすれば、いずれはまた、大気中の二酸化炭素を光合成で固定します。このようにバイオマスは、大気の炭素量に影響をあたえないことから、カーボン・ニュートラルであるとみなされています。【5】バイオマスは、温室効果ガスの排出がないカーボン・ニュートラルなエネルギー源として、地球温暖化対策の重要な柱のひとつになっています。
 世界の多くの国々は、バイオマスのエネルギー利用で二酸化炭素の排出を減らす政策をすすめています。【6】二〇〇二年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」では、今後の実施計画のなかで、バイオマスをふくむ再生可能エネルギーの利用促進が合意されました。
 日本でも、同年に政府がバイオマス・ニッポン総合戦略を作成して、各地にバイオマスタウンをつくるなど、バイオマス利用をすすめています。
 【7】バイオマスは太陽エネルギー、小水力、風力、地熱などとならんで日本では新エネルギーとよばれ、化石エネルギーや原子力に対して新しいエネルギー源とされていますが、もともとこれらのエネ∵ルギーは昔から使われてきたものを新しい技術でより効率よく、多様な形で利用しようとするものです。
 【8】消費してもつぎつぎとまた生みだすことができる資源を、再生可能資源とよんでいます。再生可能エネルギー源は、バイオマスのほかに太陽光や風力、水力などいろいろな自然エネルギーがありますが、工業原料にもなるのはバイオマスだけなので、エネルギーと原料と二重に期待されているわけです。
 【9】海外でも、バイオマスは化石エネルギーの消費を減らす重要な柱とみなされています。国際エネルギー機関(IEA)は、二〇二〇年の世界エネルギー需要予測をしています。図のように、バイオマスと廃棄物の割合は、世界のエネルギー需要の約一〇%になっています。【0】図では、太陽エネルギー、風力などがその他の再生可能なエネルギーになっており、バイオマスも化石系のものをふくむ廃棄物といっしょにしめされています。そして、再生可能エネルギー全体のなかでは、バイオマスが約七五%を占めることになると予測されています。
 バイオマスを生かすには、その特性をフルに利用することが大切です。物質としてくりかえし使えばそれだけ、生産に投入したエネルギーはより有効利用できますし、うまく組み合わせると全体としての経済性も高まります。
 バイオマスの強みを生かして、日本の資源を徹底的に活用し、化石資源を節約して、地球環境をよくしたいものです。

(木谷収『バイオマスは地球環境を救えるか』による)