ジンチョウゲ2 の山 9 月 4 週
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○自由な題名

★清書(せいしょ)

○阻害語の代表的なものが
 【1】阻害語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
 この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。【2】「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
 【3】つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座に遮断してしまう言葉です。しかもそれは他者に対しての攻撃の言葉としても使えます。【4】「おれはこいつが気に入らない、嫌いだ」ということを根拠もなく感情のままに言えるということです。ふつうは、「嫌いだ」と言うときには、「こういう理由で」という根拠を添えなければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。【5】自分にとって異質なものに対して端的な拒否をすぐ表現できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。
 だから人とのつながりを少しずつ丁寧に築こうと思ったとき、これらの言葉はなおさら非常に問題を孕んだ言葉になるのです。
 【6】どんなに身近にいても、他者との関係というものはいつも百パーセントうまくいくものではありません。関係を構築していく中で、常にいろいろな阻害要因が発生します。他者は自分とは異質なものなのですから、当然です。【7】じっくり話せば理解し合えたとしても、すぐには気持ちが伝わらないということもあります。そうした他者との関係の中にある異質性を、ちょっと我慢して自分の中になじませる努力を最初から放棄しているわけです。
 【8】つまり「うざい」とか「ムカツク」と口に出したとたんに、これまで私が幸福を築くうえで大切だよと述べてきた、異質性を受け入れた形での親密性、親しさの形成、親しさを作り上げていくという可能性は、ほとんど根こそぎゼロになってしまうのです。【9】これではコミュニケーション能力が高まっていくはずがありません。
 もっとも、流行語になるずっと以前から、「むかつく」とか、「うざったい」という言葉はありました。でもあまり日常語として頻繁に現れるということはありませんでした。【0】なぜかといえば、∵現在の状況のように、すぐに「ムカツク」とか「うぜー」と表現することを許すような、場の雰囲気というものがなかったのです。でも今はあります。
「ムカツク」「うざい」が頻繁に使われる以前はどうしていたのでしょうか。私たちの世代でも今の若い人たちと同じように、ムカついたり、うざいという感情を持つことはあったはずです。でもそれを社会的に表現するには、それだけの理由、相手に対するそういう拒絶を表現してもいいのだという根拠を与える理由がないと言えないという雰囲気があったわけです。
 それが今は、主観的な心情を簡単に発露できてしまうほど、社会のルール性がゆるくなってしまったのだと思います。昔は、そんな言葉はきちんとした正当性がない限り、言ってはいけないという暗黙の了解がありました。だから、いくらムカついてもグッと言葉を飲み込んでおくことによって、ある種の耐性がうまく作られていったと思うのです。
 さて、ここで私の娘の話に戻るのですが、こうした言葉を言わなくなってから人に対する彼女の態度がハッキリ変わりました。自分が気に入らない状況やまるごと肯定してはくれない他者に対してある程度耐性が出来上がったようなのです。それは単に年齢が上になったからとか、少し大人になったからといった自然成長的な変化ではありません。彼女の内面で確実に何かが変ったのだと思います。
 友だちとのコミュニケーションを深くじっくり味わうためにも、自分の内面の耐性を鍛えるためにも「ムカツク」「うざい」という言葉はやはり使わないほうがいいでしょう。

(菅野仁『友だち幻想 人と人の「つながり」を考える』)