ゲンゲ2 の山 3 月 4 週
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○自由な題名

★清書(せいしょ)

○一八九九年、新渡戸稲造が
 【1】一八九九年、新渡戸稲造が英文をもって著わした『武士道』は、日清戦争後の新興日本に対して興味をもち出していた欧米各国民に向かって、日本の道徳体系を解明したものとしてすこぶる好評を博した。
 【2】それはそれなりに功績はあったにちがいないが、史実的に見ればほとんどむちゃくちゃともいうべき乱雑さで「寺子屋」や「千代萩」まで引用しているのでは、とうてい、学問的価値のある述作とは認められない。【3】しかし新渡戸の著書は、明治以後武士道復活が叫ばれるごとに、かならず持ち出されるものであるから、一応その内容を瞥見しよう。
 【4】新渡戸は、武士道とは武士のかならず実践すべき倫理綱領であるとし、その内容として、正義、勇気、仁愛、礼儀、至誠、名誉、忠義、克己などをあげ、特に忠の観念を「封建諸道徳を結んでの均整美あるアーチと為した要石である」と述べている。
 【5】江戸時代に完成された武士階級の道徳綱領としては、ほぼ正しいであろう。もちろんこれは武士はまさに「かくあるべきもの」という規範であって、現実に「こうである」という意味でないことは当然である。【6】大部分の武士はこれらの道徳律に反した存在であり、ただ表面的にこれに従っているかのように見せていたにすぎない。だからこそ、くり返し、これらの道徳律を「武士道」として教えなければならなかったのである。
 【7】――けしからん、そんなばかなことがあるか、と、いくつかの例をあげて怒りだす人もいるだろうが、それらの例は明らかに、それが当時、珍しいことであったから称賛され、喧伝されたのであって、決して武士一般がそうであったということにはならない。
 【8】それでは、単にそれに向かって努力すべき道徳指標として考えた場合、武士道はどのような特色を持っているのであろうか。
 正義も、勇気も、仁愛も、礼儀も、至誠も、名誉も、克己も、いずれも武士にのみ特有の倫理ではないはずである。すべて規律ある社会人として生活する以上、すべての人間が当然これらの道徳律を目標とすべきであろう。【9】それが武士道として、とくに武士階級に∵強く要求されたのは、武士が封建社会における指導的階級とされ、農工商に範たるべきものとされていたからにちがいないが、もっとも肝要な点は、忠義という武士に特有の観念が、これらの道徳の要石としてすえられていたからだ。【0】忠義の一点を除けば、他の諸点は、欧米の紳士道についてさえ、ほとんど一致するといってよい。
 したがって武士道の根底をなす「忠」という観念を究明することなくしては武士道の本質を把握することはできないであろう。
 ところが、江戸時代における忠義の観念ぐらい奇妙なものはない。「忠」はいうまでもなく、おのれの主君に対する服従および忠誠である。それも絶対的な服従であり、必要とあれば生命をささげて奉仕することである。
 そしてその主君たるものは、知謀、才幹、力量においてすぐれているのでもなく、人間的にすぐれているわけでもない。ただ主家に生まれたがゆえにその地位を世襲しているにすぎない。大部分は愚劣な存在だといってよい。
 こんな主君に対して、忠臣は二君に仕えずといい、君君たらずとも臣臣たりというような戒律を守らねばならないとされたのだ。

(南条範夫の文章による)