ゲンゲ の山 3 月 3 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○この一年、新しい学年

○My local newspaper 英文のみのページ(翻訳用)
My local newspaper recently ran a feature article headlined, "The Great American Bag Race," which I found both interesting and amusing in ways that neither the author nor the editor probably intended. The subject was the relative merits of paper and plastic grocery bags; the discussion included the reasons why many customers and grocers vehemently prefer one or the other, and the fierce economic competition between manufacturers of both.
Just a few years ago, practically all grocery stores in this country routinely stuffed a customer's groceries into paper bags. In the early Eighties, plastic bags began to replace them in some places. By the time I sat down to write this, the two competitors were running neck and neck, with roughly equal numbers of paper and plastic bags in use.
The article I mentioned reached no clear conclusion about which kind of bag was better overall, but it made clear that both kinds of bags contribute to the problems of resource consumption and solid waste disposal. The difference between them in terms of environmental impact is one of degree -- and, when you come right down to it, pretty trivial. Ironically, neither the author nor anyone quoted in the article even hinted that there might be another option that offers much more significant advantages over either kind of bag.

★ある人物についての物語が(感)
 【1】ある人物についての物語が、何よりも、当人自身を満足させるものでなければならない場合を考えよう。それは、当人が、不確実な未来や危機的状況を前にして、何らかの選択あるいは決断を下さねばならないような場合である。【2】このような場合、ひとは、そうした選択や決断が、果して自身の望むような帰結をもたらすのかを思案し、過去において自分が出合った相似た事例を探り、自身の能力や資質を確認しようとするであろう。【3】そして、そのことと重なり合う形で、そもそも、そのような選択や決断が自分にふさわしいものであるのかを確認しようとするのではないだろうか。
 高校野球で活躍した生徒がプロ野球入りを勧められた場合を考えよう。【4】プロの世界での成功は必ずしも百パーセントの成功を保障されたものではない。当人は、こうした事態を前にして、まず自己の実力について過去の実績を勘案しながら、それと並行して、プロ野球の選手生活が、真に自分の願望するものであるかを確認しようとするであろう。【5】このとき、過去の自分にまつわる様々な出来事や思い出が、プロ生活に入る決断に向けて、まさしく自分自身で納得しうるような「筋」の中に位置づけられていくのである。この場合、「筋」は、既に成功している野球選手が語る物語を適宜借用するというわけにはいかない。【6】あくまで、本人自身にとって、プロ生活への決断が自然であるように思われるような「筋」でなければならない。すなわち、物語が語られることで、それは、おのずから決断の理由を構成する。その際、プロに入るという決断が、そうした物語を要請したといった言い方も可能であろう。【7】ということは、逆に、プロに入ることを断念する決断が下されたなら、また別様の物語が語られたであろうということを意味する。すなわち、「来歴」は固定したものではなく、一定の範囲で、現在の決断との関連で、様々に語られうる可能性を持つのである。
 【8】かくして、ひとは如何なる決断を下すか考慮しつつ、自らの属性や過去の出来事を適宜選択し解釈したうえで、自らの物語の「筋」を求めるのであり、他方、様々にありうる「筋」を探索するなかで決断の内容が次第に形を整えていくのである。【9】その際、過去の様々な事実が、その時点で実際に感じられたり思考されたのとは異なった意味づけが下される場合もあるであろう。また、以前においてはさして意味を持っていないと思われたり、半ば忘却して∵いたりした事実がにわかに重要な意義を持つものとして浮かび上がる場合もあろう。【0】このようにして、物語は、現在を通して過去と未来を媒介する。すなわち、さまざまな「筋」の可能性を秘めた物語のなかで、過去と現在が未来を規定し、また、未来と現在が過去を規定するのである。
 当人の「何者」をもっともよく明らかにするのは、上に見たように何よりも当人にとって切実な自己理解の要求に基づいて語られた物語であり、そして、そのような物語こそが、他者に対しても、当人についてのより充実した「理解」を与えるのである。もっとも、このような「理解」を通して得られた「何者」も、他の「何者」でもないという意味で真に独自のものであるとは限らない。ハイデガー(ドイツの哲学者)は、ひとが「世人」の状態を脱して「本来的な自己存在」ということに思い至るのは、他の誰のものでもない自己の死を意識したときだと述べ、そのような契機を「先駆的決意」という言葉で表現した。「先駆的決意」は、不確実で危機的である状況のいわば極限的なケースについて言われるものであると言ってよいが、おそらく、真の「独自性」というものも、そのような極限的状態において露(あらわ)になるのかもしれない。しかし、ひとがもっぱらこうした特別の状態に置かれている場合のみを念頭に置くことが、当人への理解のうえで、果して妥当であろうか。そもそも、ひとが自らについて語る物語にとって重要なことは、「独自性」というよりも、むしろ「真実性」ではないかと思われるからである。