ニシキギ の山 7 月 3 週
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○自由な題名
○うれしかったこと

○暑い日の思い出
 明治にはいると

 明治にはいると、日本は外国の文化をとりいれて、近代国家としての道をあゆみはじめました。そのさいしょのしごとが、やはり治水でした。でもそれは、むかしのような治水ではありませんでした。川に高い堤防をきずき、どこまでもつなげていったのです。
 人びとはもう、洪水(こうずい)といっしょにくらすことに、うんざりしていました。大雨のたびに水につかったり、船でにげたりするのでは、たまらないと思うようになりました。台風の年でも、お米はたくさんとりたいと考えました。雨のたびに水たまりのできるじめじめした土地も、なんとかしてかわかしたいと考えました。どろんこ道もいやでした。ふった雨を、とにかく早く、海へすててしまいたいと思ったのです。
 堤防で川をしめきってしまえば、もう安全です。ふった雨は、その川の中におしこめて、海へつきだしてしまえばよいのです。川をしめきれば、人間は川のすぐそばに住むこともできます。土地はたくさんつかえます。そして、そのころにはもう、日本人は機械をつかって、長い長い堤防をきずいていくことが、できるようになっていたのでした。
 こうして大がかりな堤防工事が、下流からすすめられていきました。堤防で守られたところには、たくさんの人があつまってきました。家がたち、工場ができ、道路がつくられました。町はどんどん発展していきました。明治から大正へ。大正から昭和へ。あたらしい時代の日本は、この堤防に守られて建設されてきたのでした。
 「これで水害とはおわかれだ。」さいしょのうち、だれもがそう考えました。ところが、どうしたことでしょう。水害はまえよりもひどくなったのです。堤防をつくればつくるほど、洪水も、つぎにやってくるときには、もっと大きくなりました。水害のたびに堤防は高く、かさ上げされました。でも、何十年かすると、まえには、考えられなかったような大水害がおこったのです。まるでいたちごっこでした。
 どうしてそんなことになったのでしょう。
 堤防ができると、人びとは安心して、まわりの土地にあつまってきます。森林や水田がつぶされて、家や工場がたてられます。いままで水につかっていた土地にも、たてものがたてられます。そのぶんだけ水はいちどにどっと、川へおしよせることになりました。そのぶんだけ、川のこうずいがふえたのです。水のいきおいもましたのです。

「川は生きている」(富山和子)より抜粋編集

★あれは小学校三年の(感)
 【1】あれは小学校三年の頃だったと思うが、手作りの虫かごの中で、アオムシがキャベツの葉をすさまじい勢いで食べながら、ポトリポトリと緑色のまるい大きな糞(ふん)を落としていくのを、感心しながらながめていた記憶がある。【2】消化されないセルロース(せんい素(そ))をあれだけ食べれば、立派な糞(ふん)をどんどんと出していかなければならないのだろう。葉を食べるということは、ずいぶん効率の悪いことなのである。
 【3】ふつう草食の哺乳類でサイズの小さいものは、葉だけを食べるということはせず、もっと栄養のつまっている果実や種子や貯蔵根(いも)を食べる。【4】小さい哺乳類は、体重あたりで比べれば、非常に多くの食べ物を必要とするから、栄養価の低い葉っぱだけで生きていくことはむずかしいのだろう。
 【5】サイズの大きな哺乳類でも、草に含まれている細胞質だけから栄養をとることはせずに、もっと優れた方法をあみだしたものが繁栄している。ウシやヤギのような反すう動物である。【6】かれらはいくつもの部屋に分かれた大きな胃袋をもち、この中に単細胞生物やバクテリアを共生させている。これらの共生微生物にセルロースを分解させて、それを自分の栄養にする。【7】だから、同じ草を食べるといっても、細胞質だけ食べてあとは捨てるのとは状況がまったく違う。反すうなどという芸当ができるのも、巨大な胃袋をもてるだけ、体のサイズに余裕があるからだろう。
 【8】ほとんどの鳥は葉っぱは食べない。ハクチョウなどの大形のものをのぞき、草食性の鳥は果実か穀物を食べる。これは飛ぶことと関係すると思われる。【9】葉をたべるということは、栄養価の低いものを大量に摂取することを意味している。これでは胃袋ばかり重くなって、飛び回るには都合が悪い。
 【0】実は、同じことが昆虫にもあてはまる。草を食うのは、飛ばない幼虫の時代なのである。変態して飛ぶようになったら、草は∵食べない。蜜や樹液を吸う。これらは栄養の水溶液、つまりドリンク剤のようなものだから、吸収がよく、重い胃袋をかかえてよたよた飛ぶことにはならず、都合がいい。(中略)
 昆虫の成功の秘訣は、大量にありながらほかの動物たちがあまり手をつけなかった葉っぱという食物に目をつけたところにある。しかし、草を食うということは、重い胃袋をかかえるわけで、移動性を犠牲にする。一本の草を一匹(ぴき)の虫が食いつくしてしまったら、草も虫もおしまいであろう。イモムシのような動きののろいものが、草を食いつくしながら、新しい草を求めてはいまわるのは、現実的でない。昆虫の小さいサイズは、一本の草で満足できる程度の、てごろなサイズだと思われる。
 しかし、小さくてイモムシのようにはいまわっていては、ひろく子孫をばらまいたり、よい環境を探して移動するには不利である。そこで、じゅうぶん草を食べて育ったら、変身して羽をのばして飛び回ることにした。どのみち成長の過程でクチクラの殻を脱いで、新しい殻を作らねばならないのだから、その際、体のつくりも大幅に変えてやるのは、そう抵抗はないだろう。こうして羽を得た昆虫は、広い範囲を飛び回り、子どもがちゃんと生きていけそうな草を見つけて卵を産む。幼虫自身はあまり動きまわれず環境を選ぶことはできないが、親がかわりに選んでくれるわけだ。
 昆虫は羽化を節目として食性と運動法を切り替える。幼虫期は、あまり動かず、ひたすら食う。このときには胃袋が重くてもいい。羽化して成虫になると、飛び回ることが最優先になり、消化のいいものだけを食べる。なかには成虫になったらまったく食事をしないものもいる。このように昆虫は変態することにより、小さいサイズの短所を解消した。昆虫の生活は、まさにサイズと密接にかかわっているものなのである。

(本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」による)