ナツメ の山 4 月 2 週
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○自由な題名
○私の癖(くせ)
○秘密基地、初めて何かを食べたこと

 4.2週
 レオナは勉強は、よくできた。ただ、……それがやっぱり、ちょっとおかしいんだ。ものすごくむずかしいことを知ってるかと思えば、一年生だってわかるようなことがわからない。
 そのころ、理科は、空気でっぽうをやっていて、ある時、先生がだっせんして、
「ところでみんな、空気ってなんでできてるか知ってる?」
 そういったんだ。すると、レオナがさっと手をあげて、
「はい。空気というものは、酸素、ちっ素のほかに、アルゴン、炭酸ガス、水素、ネオン、ヘリウムなどを微量にふくんでいます。」
 先生もぼくらも、ぽかーん、さ。
 そのくせ、算数の九九もいえないんだぜ。計算はちゃんとできるのに、いえないんだ。
 それから、音符はスラスラ読めるのに、歌をひとつも知らない。ほら、「ドレミの歌」とかさ、だれだって知ってるだろう。
 ノートは、国語も社会も、ぜんぶ横書きにしちゃうしね。
 図工で、牛乳パックを持ってくるようにいわれれば、
「ねえ、牛乳パックって、なに?」
 まあ、ジョーシキがないんだな。
 だから、なるべくおとなしく、目立たないようにしてりゃあいいのに、これがなれなれしく、人にはなしかけてくるんだ。
 しかも、くだらないっていうか、しらけるっていうか、そんなことばっかり。
「ああ、きょうは、いい天気だなあ。じつにすがすがしい。ほら、あの青い空!」
「ねえねえ。あの花だんに咲いている花、あれ、チューリップだよね。美しいなあ。」
 なあ? しらけるだろう?
 同じちょうしで、レオナはいうんだ。矢田たちにむかって、ぼくたちにむかって。
「どうしてきみたちは、弱い者いじめばかりするんだい? どうしてきみたちは、だまって見ているんだい? みんな、みんな、なかまじゃないか。同じクラスメイトじゃないか。」
「そんなこというから、よけいやられるんだよ。ばか。」
 だれかが、つぶやいた。ぼくもそう思った。
 レオナが転校してきて、だれよりもよろこんだのは、ホリキンだろうな。だって、そのおかげで、矢田たちにいじめられなくなったんだから。
 その堀(ほり)は、いまでは矢田の子分になって、いっしょになって、レオナをからっている。
「やーい、やーい。ここまでおいで。ここまでおいで。」
 堀が、レオナの教科書をひらひらさせながら、教室中をとびまわるのを見て、
(いやなやつ……。)
 つくづく、ぼくは思った。自分がやられていやなことを、どうして人にやるんだろう。
 体の重いレオナは、おいかけることもできず、とほうにくれて、みんなの顔を見まわしている。
 そのレオナとぼくの目があった。ぼくはさっと、目をそらした。
 レオナが転校してきて、二週間ほどたったある日。昼休みに、矢田がレオナに四の字がためをかけた時も、ぼくは止めなかった。少しやりすぎだとは思ったけど、止めなかった。
 でっかい矢田に組みしかれて、身うごきもできず、レオナの右手は弱よわしく、ゆかをたたいていた。やめてくれ、もう、やめてくれ、というように。
 解放されても、レオナはしばらく立ちあがれなかった。
 そこへ、チャイムが鳴り、先生がはいってきた。
 「星くん、どうしたの。だいじょうぶ?」
 「――なんでもありません。」
 低い声で、だが、きっぱりと、レオナはいった。
 ぼくはちょっと、レオナを見なおした。

「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ)より

★私は小さい頃(感)
 【1】私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。
 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だったろう。ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。【2】その日は、増水していて濁った水が流れていた。流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅い所で、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心にむかって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。【3】ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。元いた岸の所に戻ろうとしたが、流れはますます急になるばかり、一緒に来た友達の姿はどんどん遠ざかり、私は、必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろうと暴れた。【4】しかし、川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯(ばい)も水を飲んだ。
 水に流されて死んだ子供の話が、頭の中をかすめた。しかし、同時に頭にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。【5】深いところは青々と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。たしかに流されている所は、私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅いところに行くはずなのだ。【6】浅いところは、私が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。
「……そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」
 私はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。【7】すると、あんなに速かった流れも、私をのみこむほど高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。下流に向かってしばらく流され、見はからって、川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこは私の股(もも)ほど∵もない深さの所だった。【8】私は流された恐ろしさもあったが、それよりもあの恐ろしかった流れから、脱出できたことの喜びに浸った。
 怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。【9】そして、思った。
「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか……流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
 その頃から私を支配してた闘病という意識が少しずつうすれていったように思っている。【0】歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。
 東山魁夷(かいい)画伯の書かれた本を読んでいた時、画伯も少年の頃、海で波にさらわれ、似たような体験をされたことを知り、非常に感激した。そして、なにげなく読みすごしていた聖書の一節が心にひびきわたった。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一 十章十三節)

(星野富弘(とみひろ)著「四季抄 風の旅」より」