ムベ2 の山 12 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○牛の生き血を(感)
 【1】牛の生き血を満たしたコップが目の前にさしだされたとき、頭に浮かんだのは「細菌がいっぱいだろうな」だった。
 しかし、見つめているマサイの若者たちの手前、飲まないわけにいかない。思い切って一気に飲んだ。【2】意外に血のにおいはしない。私の懸命の表情がおかしかったのだろう、若者たちが手をたたいて笑った。
 アフリカ特派員時代、マサイの伝統的な生活が見たくてケニアのサバンナを訪れた。出会った遊牧のマサイ青年たちに同行を認めてもらい、彼らと一緒に野宿した。【3】その翌朝、生き血の接待にあずかったのである。
 伝統的な生活をするマサイの人々は、野菜や穀物をいっさい口にしない。土から生えてくるものは不浄だとする教えがあるからだ。食べるのは肉、乳、血だけである。【4】それでも脚気や壊血症のようなビタミン欠乏症にならないのは、牛が草を食べてとったビタミンを生き血から摂取しているためだった。
 細菌の恐れがある牛の血など飲まず、新鮮な野菜を食べればいいではないか。【5】穀物や野菜は不浄だなどという不合理な考えは捨てて……。そこまで考えてハッとした。
 マサイが住むサバンナでは、雨が年間に三百ミリ程度しか降らない。平均千八百ミリといわれる日本の六分の一以下だ。【6】そんな土地で農耕に依存する生活を始めたら最後、たちまち干ばつに悩まされることになる。民族の存亡にも関わる問題だ。そのため彼らは、「土から生えるものは不浄だ」という教えで農業を遠ざけ、遊牧の生活に依拠しているのではないか――。【7】牛の生き血を飲むのは、野蛮で未開だからではない。そうしなければ生きていけない環境に住む人々の、生活の知恵だった。
 牛の血だけではない。アフリカ南西部のガボンでは、知らずにサルを食べてしまったことがある。【8】食事がすんでから、シチューの中身がサルの肉だったことを教えられた。なぜガボンの人々はサルなど食べるのだろう。
 サバンナと逆に、ガボンは熱帯雨林帯にあり、年間降水量が五千ミリに達する。【9】ちょっと奥地に入ると巨大な樹木がびっしり密生∵しており、農業をしたり、牛や羊を飼うような開けた土地を確保するのはむずかしい。人々は生きていくため、密林の中でたんぱく質を手に入れなければならない。密林のたんぱく質――それがサルだったのだ。
 【0】一方でアフリカには「食べない文化」もある。イスラム圏の豚肉だ。
(中略)
 ユダヤ教も豚肉を食べないのは同じだ。ある日、ユダヤ人の知人から「反芻しない動物は食べられないことになっている」と聞いて合点がいった。
 牛や羊、ヤギ、ラクダなどの反芻する動物は、草を食べて消化する能力がある。人間は草を消化できないから食べない。したがって、牛と人間が食物をめぐって競合することはない。しかし反芻しない豚は草を食べることができず、穀物を食べる。したがって人間と競合する。
 ユダヤ教やイスラム教が生まれた土地は砂漠の荒れ地だ。苦労してつくったわずかな穀物を、豚に取られてはたまらない。豚肉は、牛肉や羊肉にくらべてくさみがなく、やわらかい。権力者や金持ちは、庶民から穀物を奪ってでも豚を育てようとするかもしれない。それを防ぐために「豚を食べてはいけない」と教えたのではないか――。
 食文化というのは、暑さ寒さや雨の量、地形風土、その他もろもろの環境の影響を受けながら、長年かかってその地域で形成されてきたものだ。未開とか野蛮とかいうレベルの問題ではないのである。
 気候や風土などの環境は、食に影響を与えるだけではない。人々の社会生活やものの考え方、宗教にも影響していく。
 特派員としてアフリカ大陸で八年暮らした。その中で、「食べる」とか「寝る」という行為を通じて「なぜ」を考え続けた。異文化と出会ったとき「野蛮!」と切り捨ててしまってはいけない。「なぜ?」と考えていけば、その根っこにあるものにさわれるかもしれないのである。 (松本仁一「異文化の根っこ」による)