エニシダ の山 3 月 4 週
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○じゆうなだいめい

★清書(せいしょ)

○北極探検
 北極地方は、寒さがたいへん厳しく、海もほとんど氷でおおわれています。今では、北極に陸地がないことがわかっていますが、昔の地図の中には、北極点を中心に四つの大陸が描かれているものがあります。北極点が陸地か海かということさえ、長い間、なぞだったのです。
 十六世紀に、船による北極探検が始まりました。北極海(ほっきょくかい)には、厚さが天井の高(たか)さほどもある氷が一面に浮かび、ゆっくりと移動しています。北極探検では、移動してきた氷に船が閉じ込められて遭難するなど、多くの命が失われました。
 もう一つ、探検家たちに恐れられていたのは、壊血病という原因不明の病気です。これはなかなか解決できない問題で、この病気によって隊員たちが次々と倒れていきました。この病気の原因は、ビタミンCの不足でした。航海中には、野菜や果物などの新鮮な食べ物を食べることが難しいので、知らず知らずのうちにビタミンCが足りなくなっていたのです。
 十九世紀の終わりごろから、探検家たちはさまざまなルートで北極圏に入り、地球の最も北である北極点をめざしました。ノルウェーのナンセンは、北極点のすぐ近くまで船で近づくことができました。しかし、すぐ近くと言ってもその距離は、東京と大阪ほども離れていました。また、南極探検で有名なアムンゼンは、大西洋からアメリカ大陸の北を通って太平洋にぬける北西航路を、初めて通過することに成功しました。
 西洋人として北極点に最初に立ったのは、アメリカのロバート・ピアリーだと言われています。しかし、彼も簡単に北極点に到達できたわけではありませんでした。初めて北極点に挑んだ探検は大失敗に終わり、凍傷により足の指を八本(はっぽん)も失ってしまったのです。普通だったらどうしようと途方に暮れてしまうところですが、それでもピアリーは負けませんでした。失敗した体験を生かし、長い∵時間をかけて計画を練り直し、再び新たな探検に出ました。この探検では、寒さに強い犬ぞりや、イグルーという氷で作った家をうまく使い、ついに北極点に到達することができました。十六世紀に北極地方への探検が始まってから、約三百年もの年月(ねんげつ)がたっていました。
 西洋人にとっては、長い間、北極は未知の世界でしたが、北極圏には、もともと先住民族が住んでいました。彼らはイヌイットと呼ばれており、何世紀(なんせいき)もの間(あいだ)、外部とほとんど接触をしないで暮らしてきました。海に住むアザラシやセイウチなどの狩りを中心に生活を営み、独自の文化を作っていたのです。イヌイットは、西洋人よりもはるかに北極のことをよく知っており、探検家たちが、彼らから学ぶべきことは多くありました。最後の探検のとき、ピアリーは、厳しい北極の環境に慣れた多くのイヌイットを連れていました。イヌイットの力を借りたことも、ピアリーを成功にみちびく大きな要因だったのでしょう。

 言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会(κ)