エニシダ の山 2 月 4 週
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○じゆうなだいめい

★清書(せいしょ)

○サルにつけたなまえ
 宮崎県の幸島というところにいる野性のサルのむれは、人間がまいてやるサツマイモを海の波であらって、塩水(しおみず)の味つけをして食べることで有名です。
 そのころ、日本ではまだあまりサルの研究をする人がいませんでした。しかし、サルが大好きだった京都大学の今西錦司さんたちは、幸島のサルを観察したくてやってきたのでした。ところが幸島のサルは、猟で狩られたことがあったために、人間をとてもこわがっていました。そこで京都大学の人たちは、サルを安心させようと、サツマイモをまいてやりました。そのサツマイモを、サルはあらって食べるようになったのです。それまで外国では、サルの研究をするとき、えさをまいてやるということはしていませんでした。
 そのほかにも、外国の人がやっていないことを、この日本の若い研究者たちはしました。むれのサルに、一匹一匹(いっぴきいっぴき)名前をつけて観察したのです。たとえば、こわいボスザルには「カミナリ」、わかくて頭のいいオスザルには「ヒヨシマル」といったぐあいです。
 日本での研究になれてくると、京都大学の人たちは、アフリカに行ってゴリラやチンパンジーの研究もするようになりました。
 そして、研究したことを国際会議で発表しましたが、それを聞いて世界のサル学者たちはたいへんおどろきました。日本で、こんなにりっぱなサルの研究がされていたとは思っていなかったのです。日本のサルの研究がいちばん進んでいる、と世界のサル学者たちは感心しました。そんな世界のサル学者たちが最も驚いたのが、日本人がサルたちに名前をつけていたことなのでした。
 世界の学者たちは、サルに番号しかつけていませんでした。それに、サルの顔や性格が一匹一匹(いっぴきいっぴき)ちがうことにも気がついていなかったのです。∵
 西洋の人は、人間と動物はまったくちがうものだと、はっきりわけて考えていました。けれど、日本人は昔から、人間と動物とはあまり変わらないものだという考え方だったのです。サルもタヌキもキツネも、日本人にとっては同じ村の仲間のようなものでした。だから、今の時代になっても、若い研究者はごく自然に、サルになまえをつけたのでした。サルを番号でよぶことのほうが、むしろやりにくかったのです。
 最初のころ、世界の学者たちは、日本人がサルに近いからそういうことができるのだと考えていました。しかし、今では、世界中のサルの研究者たちは、この日本の方法を使って、サルたちに名前をつけて研究するようになっています。そのほうが、サルたちの社会や生活について、よく理解できることがわかったからです。

 言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会(λ)