黄イバラ の山 9 月 2 週
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○自由な題名


○科学と芸術
★たとえば、歴史は(感)
 たとえば、歴史は数多くの宗教上の殉教者を出している。キリスト教ではそもそもキリスト自身が殉教者である。そのあとに数多くの殉教者が続いたことは、聖書や数々の文献におびただしく記録されている。
 十字軍はなぜ成立したのか。キリスト教徒であるヨーロッパ人がアラブ人が住んでいるところに攻め込み、占領しようとしただけではないか、という見方もあるが、それだけのことではるばるアラブの地に出かけ、命を賭けて戦う十字軍は成立しない。キリストにまつわる聖地が異教徒の手にあるのは耐えがたいと感じ、それをキリスト教徒の手に奪い返すことは命よりも価値があることだと信じる人びとがいたから、十字軍は成立したのである。
 キリスト教徒ばかりではない。仏教徒も数多く殉教した。織田信長と対峙して殺された一向宗門徒など、万を超える仏教徒たちが殉教している。
 これらの人びとはどうして死んでいったのか。命より重いものがある、命より尊い価値がある、と信じたからにほかならない。そう信じたからこそ、その価値に賭け、殉じたのである。
 宗教上の殉教者だけではない。歴史には英雄や偉人とされる人がたくさんいるが、これらの人びとの事蹟をたどると、ほとんどが命以上に尊い価値があることを信じ、その価値に殉じた人びとであることに気づく。
 遠く時代をさかのぼる必要もないし、ヨーロッパやアメリカに例を引くまでもない。そういう人は私たち日本人の身近にたくさんいる。
 たとえば、明治維新の志士たちである。彼らは維新を成し遂げることが、命以上に価値のあることだと信じたのだ。だからこそ、命を的に活動し、殉じたのである。そして、維新を成し遂げることに命以上の価値を信じた彼らの活躍があったからこそ、明治維新は成ったのである。∵
 日清日露の戦争もそうだった。国のために戦うことが命以上に価値のあることだと信じる日本人がたくさんいた。そして、勇敢に戦い、その価値に殉じた。だからこそ、日本は有色人種の国で唯一、白人国家の植民地にされることを免れることができたのである。
 このように見てくると、洋の東西を問わず、命より価値のあるものがあるというのはごく当たり前の普遍的な原理であり、人間はこの原理をテコにして生きてきたし、歴史を回転させてきたことがわかる。

 (月刊「致知」渡部昇一氏の文章より)