a 長文 11.3週 mu
 「ああすれば、こうなる」型の社会では、さらに違っちが た側面が現れる。その一つは、時間の変質である。頭の中では、時間は過去、現在、未来に三分割される。ところが、時間直線を描けえが ばわかるように、「現在」とはその時間直線の上の一点に過ぎない。それはただちに未来から過去へと繰り込まく こ れる、時の瞬間しゅんかんに過ぎないのである。もちろん常識はそうはいわない。なぜなら、われわれは現在とか今とかいう表現をたえず用い、しかもその「現在」という時は、実質的な時間はばを持つことが当然の前提だからである。それなら、そのように日常的に使われる「ただいま現在」の意味とはなにか。それはすなわち、「予定された未来」を指すのである。「ああすれば、こうなる」で囲い込まこ れた時だ、と表現してもいい。具体的にいうなら、手帳に書かれた予定である。来月の三日は、会社の創立記念日だから、これこれこういうことをする。それが決まれば、その日までに「どのような準備をするか」は決まってしまう。そのためには、今日、知り合いの店に電話をしておかなければならない。当日には自分は会社を休むわけにはいかない。したがって地方への出張は、その日を避けるさ  ことになる。こうして、来月の三日に予定があるということは、現在をすでに強く拘束こうそくする。そうした拘束こうそくされた時、それをわれわれは現在と見なすのである。
 それなら未来とはなにか。本来の未来とは、なにが起こるかわからない「ああすれば、こうなる」で拘束こうそくされていない時間である。それなのに子どもが育ち始めると、母親はこの子をどの幼稚園ようちえんに入れて、と考え出す。その幼稚園ようちえんが終わったら、どの小学校に、そのつぎにはどの中学から高校へ、どの大学のどの学部へ、と考える。こうして「漠然たるばくぜん  」未来は、現代社会ではただちに拘束こうそくされ、急速に失われていく。大人はそれでちっとも困らない。自分ではそう思っている。ただし、自分がどの段階でどれだけ年老い、どれだけの体力を失い、感覚がどれだけ鈍るにぶ か、それは手帳に書いてない。さらにいつ、どういう病にかかり、その結果、いつ死ぬことになるか、やはり手帳には書いてないのである。考えてみれば、その手帳がすなわち意識である。意識という手帳は、そこに書かれていない予定を無視する。いかに無視しようと、しかし、来るべきものはかならず来る。意識はそれをできるだけ「意識しな
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い」ために、意識でないもの、具体的には自然を徹底的てっていてき排除はいじょする。人の一生でいうなら、生老病死を隠しかく てしまう。人はいまでは病院で生まれ、いつの間にか老いて組織を「定年」となり、あるいは施設しせつに入り、やがて病院で死ぬ。日常の世界では、そういうものは「見ない」ことになる。こうして世界はますます「ああすれば、こうなる」ものであるように「見える」ようになる。その世界では、意識がすべてとなり、時間はすべて現在化するのである。
 これをみごとな物語に描いえが たものが、ミヒャエル・エンデの『モモ』であることは、もはやお気づきであろう。『モモ』の主人公が自称じしょうさいのモモという「少女」であることは、たいへん象徴しょうちょう的である。モモは「時間泥棒どろぼう」と闘ったたか て、町の人々の幸福を取り戻そと もど うとする。現代の東京でも、灰色の服を着て黒いかばんをもった時間泥棒どろぼうたちなら、いくらでも見ることができる。かれらの最大の被害ひがい者たちは、「漠然とばくぜん した、定まらない未来」だけを財産としている子どもたちである。子どもたちには地位はなく、力はなく、知識はなく、お金も名誉めいよもない。かれらが持つものは、唯一ゆいいつ「真の未来」だけである。現代社会はそれを惜しみお  なく奪ううば 
 政治家が国家百年を思わなくなった。医師は、もっぱら患者かんじゃの検査に没頭ぼっとうする。それはすべてが現在化したからである。百年を思うよりも、ただいま現在の状況じょうきょう徹底的てっていてき把握はあくし、それに対して有効な手を打たなければならない。「ああすれば、こうなる」ようにしなければならないのである。医師も同じである。患者かんじゃは、「先生、どうしたらいいですか」と尋ねるたず  。だから医師はその患者かんじゃの「現在の」状態を徹底的てっていてき把握はあくしようとする。それを把握はあくすれば、「ああすれば、こうなる」はずだということが、わかるはずだと思うからである。そうした状況じょうきょうを私が批判すると、若者は、こう質問する。「先生、じゃあどうしたらいいんですか」。その答があるということは、つまり「ああすれば、こうなる」が成立するということである。若者たちが、それを常識としていることが、こうした質問からよくわかるのである。
 (養老孟司たけし『考えるヒト』による)
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