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先進国の後を
ウグイスの広場
崎山とわ
 日本の教育制度は、欧米の先進的知識を詰め込むことを目指してきた。今日
、価値を創造することが要求される時代では、知識を多く詰め込むことも後の
創造性を刺激するのも確かであるが、できる生徒の好奇心を抑えるのではなく
、一人一人の能力に応じて対応でき、知的能力を最大限に刺激できるような教
育体制をと、教師が必要ではないか。平等主義的な教育思想が、独創的な人材
の芽をつみ取っている危険についても十分配慮が必要だ。 今日、日本の状況
を見ると、教育や、経済、政治など、あらゆるところに歪みがでてきている。
これらの原因は、もともと欧米の長い歴史と土壌の中で培ってきたものを、体
制や政策のみを日本に持ち込んできたため、日本の風土や国民性が拒否反応を
起こしていると思う。
 
 もう少し具体的にいうと、欧米では、使う側あわせて少しずつ、長い年月を
かけて変化していったものを、その一部分だけ切り取って日本に適用しても、
十分に効果を得られるはずはない。それどころか、逆に歪みが出てきてしまう
のだ。日本は今、このような状態に置かれているのである。「鵜の真似をする
烏水に溺れる」というが、欧米に習おうとして、自分の能力を考えずに、一部
分だけ切り取ってきて、真似をしても意味がないのである。
 
 また、教育体制に関して言えば、公的な場では、従来の教育体制を批判し、
あたかも独自の教育方法を実践しているという教師が、実際教育現場にたつと
、まったくかわっていないではないか、という場面にもよく出会う。教師に柔
軟さがあっても国の体制がそれを認めないのだ。イギリスでは、教育システム
は、地域ごと、学校ごとに任されているという。教師が自分のクラスに見合っ
た教育カリキュラムを考え、独創的な授業を行うのだ。
 
 以上を考え、今、日本人は、教育体制、社会体制問題などという枝葉末節で
はなく、その根底にある、国民性と制度が、どのような関係にあるか、という
ことを深く知り、それに見合った社会体制を独自に作り上げていくべきだ。国
際事情に追従するために、欧米化を進めたりすると、日本全体が、さらに不適
応を起こすと思われる。