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見ることと話すこと
アジサイの広場
さやかあおべ中3
 日本の自然観賞は、花見、月見、雪見が基本であるがそれはうつろいやすい
ものを惜しむ心があるからである。日本人は現場主義であり体験主義、実証主
義であり、物理的対象物を共に見ることでコミュニケーションが成り立ってい
る。
 
 確かに日本は見るということを重視していると思う。今日本人も会話中心に
なってきている。もちろん、友達と登下校しているときも、話しっぱなし、休
み時間も話しっぱなしである。しかし、旅行などに行ってきれいな景色を見る
ととても心がなごむのは日本人だからだと思う。その時は、反対に会話が邪魔
であるといっても良いと思う。また、見るということはとても落ち着く。会話
、おしゃべりも楽しいと思うが、疲れるということもある。しかし、何かを見
るということはけっしてつかれることがないのだ、むしろ落ち着くと言ったほ
うが良いだろう。
 
 しかし、私たちはものを共に見るということだけでは会話、コミュニケーシ
ョンが成り立たない。又、私達の日常生活は会話によって成り立っていると言
っても良い。物語に「人魚姫」という話がある。人魚姫は素敵な王子様に人間
の形をして会いに行くために悪い魔女に美しい声をあげてしまうのだ。しかし
王子は他の女の所に行き結局人魚姫は泡となって死んでしまうのである。この
物語は人間には声つまり会話が必要だと言うことを教えてくれているのである
 
 月見、花見、そんな美しい光景を見ると言うときに言葉が無くてもお互い分
かり合える。しかし、日常会話の中では、人間として会話が必要になってくる
のである。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。」と言
う言葉があるように、言葉を交わすか、ものをみて心を通わすかではなく、ど
うしたらお互いが良く理解されるかをかんがえることだと思う。