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何ことぞ
イチゴの広場
関野わつ中3
花見にケンカはつきものである。花見には、町内や職域といった小供同体の 
仲間が、つれだって出かけることが多い。それは新しく共同体意識をもりあげ
ようとするか、あるいはこわれかかった共同体意識たてなおそうとするのに利
用される。桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置か
れたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。花見とならんで、月見と
雪見この三つが日本人の自然観賞の基本となっているが、月、雪、花そのいず
れもがうつろいやすいものというきょうつうてんがある。
 
 例えば、月はいつも満月ではないし雪は、いつか溶けて消え去る。花の命は
短い。満開だと思っていたら、一夜の雨風ですぐにちつてしまう。そして、自
然の有為転変をながめては、人の生命のはかなさだけでなく、社会も常に移り
変わって行くのだという気持ちが、日本人の心のどこかに絶えず潜んでいるの
である。人間は、花とかと違って命はながい。その命を大切にしようと思う。