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鶏口のよさと牛後のよさ
アジサイの広場
石井つと
 「鶏口となるも牛後となるなかれ」、「寄らば大樹の陰」、就職を前にして
、多くの学生の頭をよぎる言葉ではないだろうか。安定した大きな会社で、保
証された一生を送る。あるいは公務員として宮仕えして、つつがなく一生を送
る。一般的にはこうした生活が、より良いものであるとする世間の評価がある
ように思う。しかし、大企業が大企業として、役人が役人として安定して存在
しているのは、永遠では無いということもまた事実である。経済的に巨大な存
在として現在の日本があるが、50年前には焼け野原の中にあった。人の一生
を通じてまったく変化せず、安定を保っている組織、社会状況などあり得ない
と思っている方が、認識として正確ではないかと思う。
 
 このような認識の下に、牛のような巨大組織に仕事の道を求めるのは面白い
ことであると考える。比較的質の良い人々、大きな仕事にふれる機会も多いし
、経済社会の中でダイナミックに活動している喜びもあろう。人脈づくりの幅
の大きさという意味でも、巨大組織を背景にした場合と、そうでない場合には
差ができるのも事実である。単なる牛後となることなく、牛の体を存分に利用
して、主体的に動けるのなら、牛はすばらしい舞台になることができる。しか
し、実際には、大組織に埋没すると人生自体が緊張感のない惰性の生活に陥り
やすくなる。
 
 大きな機械の歯車でいると、自分がいる機械が何のために動いていて、どん
な動きをしているのか見えなくなる。目的無く働いている状況に陥りがちにな
るのである。つきあう人も、いつも組織の人々で、話題もありきたりのサラリ
ーマン話。私がいわゆる大企業で働いていた時も、10年、20年先輩達の姿
を見て、尊敬できる人、生き生きと生活している人は非常に少なかった。それ
どころか、人間的にも成長が止まっていて、子供みたいな中年社員も多く見ら
れた。映画化されてもいる、漫画の「釣りバカ日誌」の主人公のように、つか
の間の安定を利用して、趣味に生きている人たちの方が人生を楽しみながら生
きていて、人間的にも尊敬できる場合が多かった。
 
 大きな会社をやめて、私は現在フリーの立場で生活している。牛後ではなく
、鶏口に当たる人々と接する機会が増えた。玉石混合、色々な人達がいるが、
共通して感じるのは、自分の哲学を持って毎日を刺激的に生きているというこ
とである。浮き沈みもあろうが、皆生き生きとしていて、目が輝いているよう
に思う。永遠の安定を感じていた組織に裏切られ、牛の看板無しには生きるす
べも知らないリストラ族の狼狽ぶりを見るにつけ、失敗してもまたチャレンジ
して行く鶏口的人間のたくましさが一際目立つ。90年代初頭のバブルを頂点
とした日本経済の安定も神話となった。「大樹の陰」にも落雷はあるし、いつ
でも鶏口となって生きて行ける自信と気概を持つことが人々に求められている
時代であると感じる。