ひとこと(8月2週)
一人の十歩と十人の一歩
アジサイの広場
乱月あし高3
 先日、本当ならば高校三年の生徒が、大学生となって世間を驚かせた。いわ
ゆる飛び級である。このことは戦後から平等主義で運営されてきた学校教育の
弾力化の現れであると言え、同時に競争社会の幕開けであるとも言える。本来
資本主義国家である日本に共産主義体制の学校教育があること自体が不自然な
ことなのだが、まだまだその事実は蔓延しているのが現状だ。このあいまいな
現状が生徒を惑わせていることは言うまでもない。私は競争社会の早期実現が
今後の課題だと思う。
 
  実際非競争社会である旧ソ連では、国民の向上意欲は損なわれ、結果とし
て国家の崩壊をも招いた。中国においては人民公社を撤廃してから今日見られ
るようなめざましい発展が見られるようになった。同じことは日本の教育の場
にもいえ、ただでさえ学校嫌いが多いのに今日の非競争体制を貫いてはその状
況が悪化することは目に見えている。私も受験戦争に巻き込まれた人間の一人
だが、それはそれでやる気は出た。遊ぶことがそのほとんどだったにせよ、学
校が楽しかった。
 
  また、将来的なことでも同じことが言える。商社マンになればノルマに追
い回されるだろうし、その他様々な競争に巻き込まれるのが社会である。その
社会に飛び込むことになる生徒たちを競争のない学校で育てることは彼らのた
めにもならない。今日の状況では、ウサギのように詰めの甘い人間がどんどん
出てきてしまうだろう。
 
  たしかにあまりにも幼い時期からの競争意識の扇動は、協調性など大事な
要素を損なってしまう。しかし学校教育の体制が今日のようにずっと甘んじさ
せているようでは社会に出てから路頭に迷うこと請け合いだ。ライオンのよう
に谷底に突き落とすことで、今日の社会で生き残る上で必要不可欠な精神を鍛
える必要がある。
 
  飛び級も様々な側面から見ると、良い点も多く含まれていることが分かる