ひとこと(8月2週)
庭について
アジサイの広場
吉見こと大2
 日本ではめいめいが自分だけに庭を持っている。そして凝れば凝るほど建物
や塀の奥に隠して外からは、かいまみることができないようにしてしまう。こ
れには自分の領分だけを嫉妬深く守るという封建制が象徴的に現れている。し
かし本来の庭というのは集団社会の共通の広場であり活動的な共同生活が営ま
れる場所である。私たち日本人には閉鎖的な庭よりも、より活動的な公共性を
持った庭が求められる。
 
  私たち家族は夏休みには箱根のホテルに泊まることにしている。そのホテ
ルの庭は大変、広く小さな山の中にいるような感じさえする。ホテルの庭は公
共のものなので誰もが利用できる。私が早朝、一人で散歩していると老夫婦が
『おはよう』と話しかけてきた。片言程度の話で終わってしまったが私は得を
したような気分になった。これが理想の庭だと私が思う。見ず知らずの人たち
が気軽に交流できる、そんな憩いの場所が私たちにはもっと必要である。
 
  小説に『秘密の花園』という物語がある。大屋敷にやってきた少女が、そ
の大屋敷の荒れ果てた庭を、様々な人たちの協力を得て立派な庭にしていく。
本来の『庭』というのは、やはり閉鎖的なものではなく身分や仕事に関係なく
誰にでも開かれたものでなければならないと思う。
 
  しかし、いくら開かれた庭を、と言っても日本では土地が高く庭すら持て
ない家も少なくない。昔から日本では学校のことを『学びの庭』と呼んだり家
庭での教育のことを『庭の教え』と呼んだりしている。なぜ『庭』という字を
使うのか、と考えてみても庭には、やはり何か大切な物を生み出す力があるの
だと私は思う。『庭は自分のものでもあり、みんなのもの』と思うことが大切
である。