ひとこと(8月2週)
理想の女の子
アジサイの広場
JIROあすな中3
 人間は、他の人間と自由に交わることができる。あるいは、まじわる相手を
自由にえらぶことができる。現代のように都市化がすすみ、偶然性の高い社会
では、人間関係は、ふと結ばれ、そしてふと消えていく一時的なものであるこ
とが多い。しかし、そのように自由な人間関係のなかで、ひとつの例外がある
。それは、血縁の関係、とりわけ親子の関係である。現代では、変化する社会
の中で親と子の経験がまったく異質化してしまったため両者のあいだには一種
の緊張関係がうまれてゆくのである。
 
  私の家ではやはり私と親の考えの違いで衝突することが度々ある。例えば
、プールや遊園地などに子供だけで行ってはならないとか言ってきたりする。
こちらは、頭かたいんじゃないの、とこうなるのである。自分の子供の頃はこ
うだったとかああだったとか、今と昔は違うのだということをちゃんと理解し
てもらわなければ困るのである。そして、親には、「理想の女の子像」という
ものがあるらしく、それに反しているものは認められないらしいのである。し
かし、洋服など母親が私たちぐらいだったときの流行が今流行っていたりして
自分たちが着ていたにも関わらず認めないとはどういうことか。
 
  「金太郎」は、昔から男の子は強くということで、その通りに稽古をして
いったら、熊も倒せるほど強くなったというお話だが、私はそういう固定観念
にとらわれてはいけないと思う。これが正しいとか、あれが正しいということ
はそれが起こってからでないとわからないから、それを人に強要することは、
人間性の成長の妨げになると思う。
 
  大人は何もしないで長い間生きてきたのではないから言っていることも嘘
ではないし、私たちが思っているより正しいと思う。それに、親にかまっても
らえない子どもが非行にはしったりする。しかし、「子供は大人を小さくした
ものではなく、それ独自の価値をもっている。」とあるように、親が小さい頃
からこうしなさい、ああしなさいと言われて自分が生きてきた通りに子供を育
てようとするのではなく、一歩離れて見ていてくれるなら、子供はもっと自分
らしく生きていけると思う。