ひとこと(8月2週)
叱ること叱られること
アジサイの広場
○○○○あう大1
『私が文章を』を読んで
 
 ○○ ○○
 
 
 
  私が、文章を書くことによって生活できるようになった頃、先輩が言葉遣
いについて注意してくださった。その時の衝撃は大きかったが、その先輩の言
葉の有り難さが分かったのはかなり時間がたってからだ。先に生きた大人が子
供に対して注意することは大切な義務であり、自分で知るようになるまで待つ
というのは怠惰の正当化になるのではないだろうか。国を滅ぼすのは武力だけ
ではない。教育の重要性を切実に考える機会が増えている。
 
  中国地方の覇者となった毛利元就は、もし彼が現在生きていたならば、徹
底的に非難されていたかもしれないほど三人の息子に対して管理教育を行って
おり、昨年の大河ドラマのなかでも、息子に対する注意を長々と手紙に書いて
送る話がとりあげられている。しかし、教育の専門家に「教育パパ」と非難さ
れるような教育を行った結果、毛利家は、多くの大名が肉親同士で殺し合った
戦国時代において、最後まで堅い結束力を保ち続ける。本文において述べられ
ているような「叱る」ことを元就が怠らなかったからといえるのでわないだろ
うか。
 
  教育は「自由にのびのびと」がモットーとされてきて、親が子供に対して
いろいろと注意することは重視されてこなかった。学校も「校則が厳しい」「
制服を着用させることはおかしい」としばしば非難される。しかし、昨年、神
戸の幼児殺害事件や生徒のナイフによる殺傷事件以来、家庭のしつけを重視性
が見直されてきている。学校も少しではあるが教育方針を変えつつある。
 
  確かに、本文においても指摘されていることではあるが、叱る側の教師も
生活の訓練と充実が伴っていなかったり、「叱る」と「おこる」を混同してい
ることが少なくない様に思える。しかし学校の教育の在り方が問われている今
、「叱る」 ことを考え直してみるべきではないだろうか。