ひとこと(7月3週)
私が、文章を
アジサイの広場
T.Oいう高2
 例えば文章を書いて、最後に読み直してみると言い回しに細かい間違いがあ
ることがある。大抵の人は放っておくのだが、こういう時に間違いを正してく
れる人がいるととても有り難いものである。文章を書くにあたって反省、訓練
、謙虚さ、自惚れの四つはどれも欠けてはいけないものである。経験が浅く、
自惚れが強い時の自分にあえて苦言を呈してくれた人々に対して最初は嫌な印
象を受けるが、時が経てば経つほどその人に対する感謝は深くなるばかりであ
る。現代の親子関係において、子供に口出しできない親が増えているが、子の
間違いを正すどころか指摘さえもできない親がいることは大きな問題だ。
 
  私の親は堅物と言われそうなほどうるさいが、私の友人の中には夜遅くに
帰ったりしても何も言われないという人もいる。私が学園祭の打ち上げで夜中
に帰ったことがあったが、その時は「高校生が帰ってくるような時間ではない
」とひどく叱られ、正直言って腹が立った。しかし、後になって考えてみると
自分が調子に乗って遊び過ぎるのを止めてくれたのだなと思えた。
 
  「ピノキオ」では主人公は嘘をつくと鼻が伸びてしまい、その上人間には
なれなくなるという厳しい条件が課せられたが、その言いつけを守って最後に
は人間になることができた。人間には、やはり厳しい環境や自分を厳しい目で
見てくれる人が必要である。
 
  間違いを正すだけでは、人間は成長できない。「角を矯めて牛を殺す」と
言うように、おかしい部分を直し過ぎるあまり、その人の個性を潰してしまう
ことになる。牛の角は曲がっていても立派に見えるように、その人の特徴が一
般的に見て変であっても、その特徴という角がなければその人らしくないとい
うこともありえる。大事なのは間違いの指摘と同時に長所の指摘も行うことで
ある。指摘は、何も欠点の時だけにすることではないと思う。人には自分では
分からない長所も短所もあるのだから、それを互いに見つけ合うことが現代人
に足りないことであり、大切なことではないだろうか。