ひとこと(7月3週)
庭は原始時代では
アジサイの広場
乱月あし高3
 原始時代の庭はあらゆる生活の幅を含めた、集団社会の共通の広場だった。
しかし庭の意義は歴史が進むに連れて様々に変化していき、今日ではまったく
公共性のないものになってしまった。そこで今日、公共性あふれる空間として
公園を設備したのである。私たちは、日本人が道路の延長と考えてしまいがち
なその公園を、原点の「庭」から考え直して、そしてその在り方について熟考
しなければならないのだ。
 
  今日の日本で、慣習はもはや絶対的な地位を占めている。高校の入学式で
日の丸を掲げることも、面接で出身大学しか見ないこともすべてが慣習だ。私
たちの慣習を守る文化は頑なに守られ続けているわけだが、このことは文化を
固定概念でしか見られない日本人の特徴であり、不測の事態に対応できない原
因でもある。
 
  高校の入学式にはたして日の丸は必要だろうか。そんな疑問を持った生徒
達は非常に良かった。たしかに意味もない日の丸掲揚は必要ないかのごとく見
られがちだ。その答えはともかくとして、疑問を抱けたことは今日の政治家や
企業の人間が見習うべきことだ。比較的学校の校則は柔らかく、様々なことが
変えられた。今や人気の浅野高校のカバンも、昔はシンプルな肩から提げる白
カバンだった。生徒会の地道な調査はその現状に疑問を抱くことから始まった
のだ。
 
  しかしまわりに流されてもどうしようもない。生徒が疑問を抱いたのでは
なく、影では共産党の党員が生徒を洗脳していたという話だ。本心から疑問を
持ち、客観的に事実を把握することが大切だ。そのことを怠った結果、校長が
責任問題を問われるという事態に及んでしまったのだ。<物語、童話>
 
  たしかに今ある文化の重要性は否定できない。なるべくしてなった今日の
文化には非の打ち所のないものも多くある。しかしそこで原点に立ち返り、多
くの意義を求めることが今後の課題といえそうだ。取捨選択である。必要のな
いものはどんどん変えていくことが大切なのだ。
 
  今後の日本は「変わらなきゃ」の境地なのだ。