ひとこと(7月2週)
得意を伸ばすか苦手を直すか
アジサイの広場
乱月あし高3
 今日の学校教育では、理解の遅い生徒にあわせて授業を進行させるようにし
ている。この方法の利点はおしなべて全生徒に理解を求められるところにある
。しかし弊害として理解の早い生徒が必然的にほとんどの授業で退屈してしま
うということも挙げられる。結果、学校側は生徒の満足いくように教えている
つもりが、生徒の貴重な芽を摘み取ってしまっている。ただでさえつまらない
といわれている今日の学校教育なのに、そんな事では将来的に学校嫌いがます
ます進んでしまうだろう。
 
  やむを得ないが生徒を一人一人序列していくことが最善だろう。それぞれ
の能力に応じた教育は、結果的にそれぞれの最大限の能力を引き出し得る。し
かしその事は同時に幼い時期から競争意識の自我を目覚めさせることになって
しまうかもしれない。私の学校でも、成績で機械的に割り振ってクラスを作っ
ていた。競争意識が旺盛な私たちは上のものは下に落ちまいとし、下のものは
上に上がろうとする理想的な状況が作れた。私にとっては下のクラスを受けも
った教師がただ嫌だったからがんばっただけだが。
 
  それに応じて教師も多く採用すべきだ。子供の数が減ったからといって教
師を採用しないのではなくて、むしろもっと教師を採用して少人数学級を実現
するべきなのだ。子供一人一人に目が届くという面も含め、様々な利点のある
その体制を作ろうとしないのはなぜだろうか。明治以前は寺子屋や藩校などと
いった小規模な学校が多くあり、教育の需要にちゃんとこたえていた。一度原
点に立ちかえるべきだろう。
 
  確かに面白い学校は得てして生徒の自主性を抑制しかねない。しかし今日
の状況はほったらかしにしすぎて学校嫌いになっている現状が挙げられるのだ
から、やはり先述のような対策が必要かと思われる。森にはいろいろな木の葉
が隠されているものだ。そんな埋もれてしまいそうな木の葉を見つけるのが教
師の役割といえるだろう。
 
  これからの学校は楽しくあるべきなのだ。