ひとこと(7月2週)
得意を伸ばすか苦手を直すか
アジサイの広場
T.Oいう高2
 人間誰にでも得意不得意は何かしらあり、得意なものには自然と興味がわき
、不得意なものは敬遠したがる。現在の日本の教育はその不得意なものを何と
か引き上げる「苦手は特にない」といった人材の育成を目的にしているのに対
し、アメリカの教育は得意なものが一つでもあるならそれを可能な限り伸ばす
のを目的としている。どちらがいいとは一概には言えないが、自分の将来を豊
かなものにするためにはやはり一つでも得意技を持っている方がいいと思う。
 
  実際に、現在のような就職氷河期ではどれも平均的にこなせるよりもなに
か一つ突出しているものを持っている人材が求められている。日本の教育から
してなんでもそこそこに出来るというのはいくらでもいるからだろう。しかし
、一つだけ飛び出ているということは他のことがおろそかになっていることと
同じである。
 
  「三匹のこぶた」で「一番最後に家を建てたこぶたは、丈夫で風にも飛ば
されないレンガの家を建てた」という場面があるように、その最後のこぶたは
前の二匹のこぶたの建てた家の欠点を見事に補い、安全な家を造った。この部
分は日本の教育の「足りない部分を補う」という長所と共通している。
 
  どんなことでもそれなりに出来ることは、どのような問題にも対応できる
ということであり、日本の教育においては認めるべき部分であると思う。しか
し、国際化が著しく進んでいる現在の世の中では、一つ優れた才能を持つもの
の方ががぜん注目を浴びる。なぜ日本の科学者より欧米の科学者のほうがノー
ベル賞受賞者が多いのかはやはり、欧米の科学者のほうが自分の中にある才能
をよく磨いていたからではないだろうか。幼いころは落ちこぼれ扱いを受けた
彼らは「艱難汝を玉にす」というように、一般の勉強が分からない辛さを味わ
いながらもそれをばねにし、自分の好きな研究を熱心に行い、後世に残る大発
見という立派な玉を磨き上げたのだ。自分の夢をかなえるには、自分の得意な
ことを最大限にまで伸ばすことが近道ではないだろうか。