ひとこと(7月2週)
「私が、文章を」
アジサイの広場
正之おき高3
「私が、文章を」
 
 小原 正之
 
  私は、有難いことに自分の文章に対して作家の先輩達が批評をいただいた
ことがあった。そのようにして、我々の使っている日本語をできるだけうまく
使うように、先に生きた大人が後輩や子供に対して注意することが大切な義務
の一つではないか。まともに人格も備わっていないうちから責任回避の人格尊
重や放任は考えものである。そして、今の若い者は、とよく言われるが、そん
な若い者に誰がした、という声を聞かなければならないと思う。
 
  最近はあまりしからない親や、年下や若い者に対して他人だからといって
、迷惑なことや悪いことをしているのを見ても注意しない大人が増えている。
だから、若者よりも長く生きて道徳心や物事の分別がついている大人達が、少
しずつでも注意をしていくべきであると思う。
 
  例えば、学校で先生が生徒に対して叱っているのが、この種の注意にあた
るであろう。私は、学校でクラスメイトが授業中に私語をしているというのを
よく見かけるが、このことに対して、確かに何も言わないままの教師もいるが
、きちんと注意する先生もいる。こういう場面で注意することが、大人が子供
にすべき義務であると思う。
 
  また、昔話ピノキオの主人公であるピノキオは、育て親であるおじいさん
に何回も叱られていくことで成長していったのであった。こうして、経験豊富
な大人が子供を注意することは、成長過程にある子供を良い大人にするために
大切なことであると思う。
 
  確かに、叱ってばかりではなく、時にはやさしくしたり褒めたりすること
も大切なことかもしれない。しかし、我々は一を聞いて十を知るというように
、年上の人に注意されながら着実に成長していくことが人生を誤った方向に進
まないための方法なのであると思う