ひとこと(7月2週)
ふしぎ
イチゴの広場
酔月あも高3
 私は、現代の子供達が、[不思議]に対する説明を科学的にのみされていること
が問題であるとおもう。というのも科学的な説明のみによって育った場合想像
力、創作力のかけた、いわゆる冷めた子供(^_^;になってしまう可能性がある
からである。
 
 第一に理論が分かっていても自分なりの解釈を持つということがある。
 
  ある日のこと、めずらしく何も入っていない自分の力バンに違和感を感じ
た。いつもはパソコンで重量感あふれるものとなっているからである。この違
和感の科学的な答えは、かばん内部の密度の変化により重量が減少した、であ
る。ところが私なりの納得のいく説明は、パソコンは自分を落ちつけてくれる
もの、である。私の日々のパソコン輸送の動力源となっているのである。
 
  第2に科学的な説明にもイメージを加えて感惰というフィルターを通して
物を見るという方法がある。
 
  確かに、理論は大切であるが、何でも理論づけるのでなくて宣長日くの解
釈を拒絶するものが美しいという考えを支持するのもいいのではないだろうか
 
  一般に、感情的になるということは善ばしい行動ではないといわれている
。だが平家物語ができたのは、作者か優能な思想家でなく、詩魂を持っていた
からだという考えもある。我々は全てのものを論理づける必要はないのである