ひとこと(7月1週)
「誰かがいつか」を読んで
アジサイの広場
乱月あし高3
 
 神経が苛立って眠れないときがあるが、それは神経の疲労が、肉体の疲労と
のバランスを欠いて、独自に進行してしまった結果なのだ。そんなときは、軽
い運動をしてそれぞれの疲労のバランスを取れば、眠りに就くことができるよ
うになる。私たちの内には、それぞれのものが乖離して世界を体験し、したが
って乖離したままそれぞれ別レベルの疲労を課せられ、そのバランスが崩れつ
つある点で問題があるのだ。
 
 私たちの神経が持つ機能は、ときに現代の文明の力によって狂わされてしま
う。実際にほんの数cmの所にある空気が時速200キロで飛ばされてゆくのに、
バイクレーサー達は何事もなかったように第一コーナーへと突入していく。実
生活においても同じである。めまぐるしく空気は飛んでゆくのに、私たちはそ
の実感を持つのに非常に苦労する。このギャップが不自然な不安や不満を抱か
せているのだ。
 
 便利になりすぎた現代では、地球の反対側ともほんの数秒で結ばれてしまう
ようになってしまった。江戸時代で14日もかかった東京~大阪間も「のぞみ」
で行けば2時間強である。一見便利に見えても、距離感のなさは何気なく、し
かし着実に私たちの意識を傲慢なものへと変えていっている。今起こっている
ことを根底から考えて、自分のやっていることに責任を持たなければならない
のだ。
 
 しかし不安や不満を飲み込んでしまう、という手もある。自分と同じ人類が
開発したものなのだから、と割り切って考えることができればこの上なく便利
だ。しかしこの、自分の感覚を麻痺させてしまうことは同時に先述の傲慢さを
育ててしまう。何でもできることを当然のように思っていて大いなる自然の前
になす術もなかったことには多くの前例がある。私の井の中の蛙思考で全国試
験に臨んだら散々な目にあったのは私の記憶にも新しい。得意だった地理が赤
点がつく点数だった。
 
 私たちの持つ文明は多くの弊害をその中に含んでいる。その弊害、すなわち
傲慢さを育ててしまうことに慣れてしまえばいうことはないが、しかし人間性
をも損ないかねない。いや、すでに慣れてしまっているかもしれない私たちは
、だからこそ原点に立ちかえることが必要なのだ。初心、火、道具、言語を使
っていた頃を忘れてはならないのだ。
 
 バイクレーサーも一度コースを歩いてまわると良い。その距離は数分で一周
してしまうべきではない距離なのだ。