ひとこと(6月3週)
「誰かがいつか」を読んで
アジサイの広場
T.Oいう高2
 
 昔の人の生活は、何でも自分達の力で行っていたので肉体的疲労と神経の疲
労具合が一致し、その分回復も早かった。しかし、機械化が進んだ現代人の生
活は肉体的疲労は減ったものの、神経疲労の具合は以前と変わっておらず、そ
の不釣合いな状態が続くことでしばしば病気をひきおこすことがある。実際、
現代人は自分から体を動かすことをしなくなり、実感を味わうことが少なくな
り、肉体と神経のバランスがばらばらになってしまっているがそれは問題であ
ると思う。
 
 その原因は、まず第一に機械の扱いに慣れてしまったことにあると思う。現
在の生活は様々な機関が発達し、どんな遠いところでも行けて、いろいろな情
報が手に入れられるようになった。しかし、実際何百キロや何千キロも離れた
ところに行くことは容易ではないし,報道されているニュースもすべて正しい
とは限らないのに、そういったことが可能になったことによって大変さがわか
らなくなり、ある意味人間の肉体的感覚が麻痺してしまったのではないか。
 
 また、たまった不安や不満を解消できないことも原因であると思う。現在も
っとも多いのは機械によるストレスらしい。その理由にはもちろん操作方法の
こともあるかもしれないが、機械が自分が本来やるべき仕事まで片付けてしま
うことで、実感がわかなくなり脱力感におそわれることも関係していると思う
。そういった気持ちのやりばがなくなり、しだいに神経が衰弱してしまったの
ではないだろうか。
 
 確かに、世の中が便利になったことで行動の幅が広がり、様々なことができ
るようになった。しかし、私達は「湿を悪んで下きに居る」というように機械
にばかり頼ってばかりいれば、自分自身では何もできなくなることを知ってい
ながら、機械中心の生活から抜け出せないでいる。機械中心のじめじめした生
活にいれば、自然と自分自身の体までじめじめとして衰えてしまう。そういう
生活が当たり前になってしまった現在だからこそ、自分で実体感することに大
きな意味があるのではないだろうか。私達はこれから必要なのは、能力だけで
はなくこういった積極的な姿勢であると思う。