ひとこと(6月2週)
文化の違い
アジサイの広場
加奈子せて高2
 
 人間は客観的世界にのみ生きているものではなく、普通理解されているよう
な社会的活動世界にのみ生きているのでもなく、その社会の表現手段である特
定の言語に強い影響を受けている。異なる社会が生きている世界はまた別の世
界であり、それぞれの言語が異なれば、見えてくる世界も違ったものになって
くる。人間が集団で創りあげた文字や、言語などを捉えるならば、各文化間の
相違が現れてきて、その他にも文化の行う分類からはみ出してくる部分を、た
とえば、人体の排泄物などの誰のものかわからないような明確にできない両義
性を持つものなどを気持ち悪く感じたりして、排除しようとする。
 
 このように、分類からはみ出てしまったものを排除しようとするのは、自分
たちの文化とは違うことや、皮膚の色が違ったり言語が違ったりする人を嫌っ
たり、いじめたりするのと、同じだ。私たちは時々目立つ格好をしている人や
、外国人を見ると、少し興味を持って見てしまうことがある。ここでの興味は
、人種差別までとは行かないが、これが大きく社会的になると人種差別などの
問題になってくる。
 
 今日の日本の社会問題では、江戸時代鎖国をしていたので、外国の文化を取
り入れる事ができず、今でも異なる文化に遭遇すると、つい自分たちには必要
のないものだとして排除してきたためだ。
 
 去年ホームステイで、カナダに行った時、友達のホームステイ先のうちが、
アジア系の人だった時、私は「いいなー」と言われた。カナダは、私たちのイ
メージではこんなにアジア系の人々が移住してきているとは思わなかった。だ
からつい、イメージとは違ったためがっくり来たのだと思う。
 
 たしかに、民族や文化の個性は必要だけれど、それをはみ出した分類として
排除したり、軽蔑したりするべきではない。「雨降って地固まる」ということ
わざがあるように、いずれは世界中が分かり合える時代が来てほしいものだ。