ひとこと(6月2週)
未来の形、未来の価値
イチゴの広場
ペー吉うき中2
 
 今の子供たちには、未来が無い。今の子供たちが描く未来は「死んでいる」
のである。おしきせの未来が多すぎるのだ。大人が、子供を自らの操り人形に
する。流行っている馬の育成ゲームと似たような感覚かもしれない。ひどい時
には、就職先まで親が決めていたりする。例えば、小学生の少年が、自分の夢
を語ったとする。そのときに語られる夢は、非常におかしいことがある。良い
中学に入り、良い高校に入り、良い大学を出て、良い会社に就職する。それの
どこが「夢」なのだろう。管理された中に幸福はない。まさに「死んだ」夢な
のだ。
 
 そんな世の中だから、大きな夢を持つことは大切だ。たとえば、まったく新
しいジャンルの何かを始める、人類に貢献できる発明をする、などだ。たとえ
ば、ライト兄弟。彼らは、大空を駆けるという、人類の夢を実現させた。最初
に飛んだ彼らは、なにを見ただろうか。夢を描き、実現させるというのはすば
らしいことである。
 
 だが、「総理大臣になりたい」「大統領になりたい」など、大きいことは大
きいのだが意味の無い夢を見てはいけない、という意見もあるだろう。それは
その通りだ。大きすぎる夢は、自らを潰してしまう。いきなり大きすぎる夢を
みるのでは無く、「来年はああなる。その次の年はこうなる。そのまた翌年は
こうなって…」という、一歩一歩踏みしめていく夢の形もある。
 
 だが大事なのは、大きな夢を持つか、一歩ずつ夢を叶えていくかではない。
冒頭でも触れたように、方法ではなく持つ夢である。死んだ夢ではなく、管理
された夢ではなく、自分が描く、自分だけの夢だ。大切なのは健康らしい外見
では無く、健康自身である。良い大学を出て、良い会社に勤めるというのは、
一見すばらしい道を歩んでいるように見える。しかしそれは、「健康らしい外
見」にすぎない。戦争を無くす。人類に貢献する。新しいことを始める。描い
た夢は、「健康そのもの」となり、確実に自らの糧となる。今の、夢を描けな
い子に、未来の形と未来の価値を見てほしいのだ。