ひとこと(6月2週)
未来
アジサイの広場
乱月あし高3
 
 私たちは一体どういう未来に生きることになるのだろうか。夢見ることが少
なくなった昨今、これといった抜本的な未来はもはや望めないといえる。そも
そも不況という状況下で大きな夢を持つことは少なくなってしまったのかもし
れない。私が小学生だった時分には、様々な(無茶苦茶な)夢が多く見受けられ
た。果てはペンギンになりたい者までいた。ところが今は、良い学校、良い会
社、幸せな老後と決まりきったセオリーの上をそのままなぞりたくなっている
ような子供達がほとんどだ。彼らは夢見る事を忘れてしまったのか。
 
 今日では子供達の周りにも暗い話題が影を落とすようになった。両親は不況
に悩む一方、子供の成績にうるさく口を出す。明るい話題は友達との間でかわ
される少しばかりの無駄な話の中にしかない。私が遊ぶ事を仕事としていた小
学生の頃は、親ともよく話したし旅行などもした。ところが今では子供は勉強
に精一杯で、親としてもそんな出費を避けたいということだ。もっと楽しく、
共に未来を考えられるような家庭が必要なのだ。
 
 また、社会現象にもなっている少子化が大きな原因の一つでもある。子供は
孤独で自分の未来のことなど話せないし、さらに親が一人のその子にすべての
希望を託しているために、その雰囲気が子供にプレッシャーを与えてしまって
いる。今日の一人の女性が産む平均の子供の数は、実に1.4人だそうだ。さ
らに低下の一途をたどっているその数字は子供の未来の暗さに反比例している
 
 不景気なのは親のせいでもないし、子供を作らないのもその不況に起因する
ことなのだから仕方の無いことなのかもしれない。しかし一人だけ生まれてく
るその子に暗い状況を与えてしまっているのはその懸念なのだ。快刀乱麻を断
つ、こんな世の中だから、と開き直って刀を振りかざすなら、そこから絹さえ
生まれよう。これから大切なのはうじうじしている自分にけりをつけることな
のだ。
 
 間抜けな顔をして「将来社長になる!」と豪語できる日は遠くないはずだ。