ひとこと(5月3週)
勉強のたいせつさ
アジサイの広場
拓馬ねき中1
 
 勉強が嫌いな人がいれば、勉強が好きな人もいる。勉強が好きな人も勉強が
嫌いな人も、それぞれ理由がある。例えば、勉強より遊びの方が楽しいから勉
強は嫌いだったり、自分のためだから苦ではないという人もいるだろう。しか
し、勉強が好きな人も勉強が嫌いな人も、勉強が大事ということは知っている
だろう。勉強が大切である理由は二つある。
 
 一つは、学問を学ぶことによって、考えが広がるからである。自分の考えを
広げれば、世界を見る目も変わるし、自分を見つめ直し、自分の悪い点も分か
る。つまり、学問を学ぶこと、即ち勉強は、ものを見つめ直し、新しいものを
発見する手段だからである。実際に、福沢諭吉(1834〜1901)は、勉
強をして、「学問の進め」など、いろいろな本を著し、知らない人がいないほ
どゆうめいになった。
 
 もう一つは、勉強をして、知識をつけると、人のいっていることや、新聞に
書いてあることなどがよくわかり、自分の意見も正しく言えるようになり、人
からも信用されるようになる。そのようなことは後々になって自分のためにな
ったりする。例えば、自分の意見を正しく理解してくれている人と、なかなか
分かってくれない人がいれば、当然最初に述べた人のほうを信頼し、その人に
頼まれたことならばいろいろやってみよう、という気持ちになるだろう。今の
例と逆の立場になったつもりでやってみれば、信頼関係ができているのは一目
瞭然である。
 
 確かに遊ぶこともとても大切なことだ。人は遊ばないと、想像力もつかない
。想像は、知識よりも大切なものである。しかし、勉強をして知識もつけない
と、さっきもいったとうり、信頼関係をなくし、人との交流のない人間になっ
てしまう。家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものであ
る、というように、勉強は、それができたら偉いとかそういう問題ではなく、
自分の意見を広げ、それを伝えたり、人の意見を聞いたりするための、言わば
意見交換の掛け橋のようなものである。