ひとこと(5月1週)
勉強の意味
アジサイの広場
T.Oいう高2
 
 日本は、数ある先進国の中でも勉学の面では非常に優れている。しかし、我
々は勉強の意味について考えることがまったくと言えるほどない。現在の日本
の「勉強」は本来の「人格形成」のためではなく、学歴をつけるためあるいは
テストのためにするものであると思われている。勉強とは一過性のものではな
いと思う。私は勉強というものは、積極的な心、つまり向上心を持つためのも
のと位置づけるべきだと思う。
 
 現在のような表面的な「勉強」をするようになったのには、学歴社会が主流
になったことが原因していると思う。実学のための勉強が主となった今では、
いい大学を出ていれば一流企業に入れる、または政治界のトップクラスにのし
上がって接待漬けの毎日が送れるなどといった現実をあまりにも多く見せつけ
られてしまっている。いい思いをするために勉強すると言うのは短絡的ではな
いだろうか。目的を間違えてはいけないと思う。
 
 また、福沢諭吉が指針として立てた「立身出世のための勉強」の意味を間違
って捉えてしまっていることも原因にあると思う。福沢諭吉は勉強を「役に立
つため」のものと言っていたが、一番知識を生かせるはずの戦時中でも授業を
行った。戦争で名をあげればたちまち出世できるのに、自分の生徒だけは戦争
に行かせなかったというのは、きっと彼は「立身出世」とはただ知識にだけ優
れているのではなく、むやみに争いをしないような人格を持った上で身を立て
て、人の上に立つことであると言いたかったからではないのだろうか。
 
 確かに、実用的な勉強もしていないと厳しい現代社会を生き抜くことはでき
ない。それに学んだ知識がいつか役に立つこともあるかもしれない。しかし、
「百聞は一見にしかず」と言うように机の上で見たもので満足するのではなく
、自分の目で確かめてみようといった積極的な心、あるいはどんなものや人に
も興味を示す心をかきたてるために勉強はあるのではないかと思う。