ひとこと
無題
アジサイの広場
哲也くさ小6
 
 「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味があり、はじめからいや
いやな印象がつきまとっているのだ。「勉強」の目的は、人によってさまざま
である。そして、目的は最初からあるものでなく、また人から強制されるもの
でもありません。自分の行くべき道を自分で探していくのである「勉強」で大
切なのは、何のために学ぶかである。したがって、学生時代とは、この課題を
「勉強」を通じて考えていく、いわば自分探しの旅の始まりにもたとえること
ができる。
 
 僕は、よく親に「勉強しなさい」といつも聞いているのでもう耳にたこがで
きているくらいだ。僕はうるさいとも思いながらも机に向かったのもいいけれ
ど、そこからが問題、ぜんぜんやる気が起こらないのだ。頭にあるのは、テレ
ビの事やマンガなどのことで、勉強をする気には本当になれないのだ。そして
、時間ばかりが過ぎていき自分があせるだけなのだ。すごく情けない事だけれ
ど、強制された勉強とはだれだってあまり好きな事ではないと思う。まるで、
勉強という言葉を知らないかのように、まったく手が動かないようになって、
集中できなくなるのだ。強制された勉強というのは、恐ろしい力を持っている
かのようだ。
 
 自分から進んでやる勉強とは、強制される勉強とは正反対に、すごくやる気
が起こるものなのだ。頭の中は勉強という言葉でいっぱいのように、頭の回転
が良くなるのだ。僕は、自分から進んでする勉強とはすごい力を持っていると
思った。そしてこれからは、自分の人生のためにも進んで勉強をしていきたい
と思った。
 
 「知って行わざるは、知らざるに同じ」ということわざがあるけれど、僕は
こんなことにはならないように、人生のためにも頑張っていきたいと思った。
 
 勉強とは人間にとって、人生の善悪をきめてしまうようなとても大切な役割
を果たしているものである。