ひとこと
ダーヴィニズム
アジサイの広場
T.Oいう高1
 
 一七世紀から一八世紀にかけて、すでに地球や自然界の歴史的展開というこ
とは何人かの人々にとっては当然のこととなってはいたが、そうした時期にお
ける「自然界の歴史的展開」は「進歩」は悪い状態から良い状態に移り変わる
という意味ではなかった。ダーウィンは著書「進化論」の中で「優勝劣敗」、
すなわち強者は生き残り弱者は滅びるという思想を唱えた。だが、実際に強者
だけがこの世界を陣取っているかというとそうではなく、様々な生き物が存在
している。だから「進化論」の述べていることをそのまま「進歩」という意味
として当てはめるべきではないと思う。
 
 なぜなら、「優勝劣敗」の思想は社会進歩の原理というだけであって、生物
の進歩の場合には当てはまらないからだ。社会の中では、実力の勝負となるわ
けだから強いものの方が勝つのは当然といっても良いかもしれない。けれども
、自然界でその思想が当てはまったとしたら、この世界には一種類の動物や植
物しか存在しないことになるし、実際に自然界では様々な種類の生き物が食物
連鎖という循環の中で生きている。自然界では様々な生物が共存し合っていく
のが本来の姿であると思う。
 
 それには、優れたところを伸ばすことが大切ではないかと思う。どんなもの
にも必ず長所と短所があり、それらが生物によって異なるから共存が可能なの
だと思う。「すみわけ理論」にもあるように、例えばある平地に木と草原があ
ったとすると、木には木にだけ住んで木の葉や実しか食べず、草原には草原に
しか住まず、草だけを食べて生活する生き物がいて、それらは互いに邪魔をす
ることなく好きなものや慣れたものにだけ手を出している。競争をあまり意識
せずそれぞれが得意なものを伸ばしているから種全体が一緒に進化することが
できるのだと思う。
 
 「進化論」を現代社会に当てはめることによって、競争意識を促し、社会全
体に活気をもたせる効果が生じた。その上日本にありがちな馴れ合い体質を改
善する点では、とても良い成果が出た。しかし、この方法を当てはめることに
よって強者
 
勝者、弱者
 
敗者という考えと社会の実情との間に矛盾が生じた。弱者にも強者より優れた
ところがあり、そういった特徴的なものに関しては勝敗は関係ないと思う。そ
ういうことよりも、進化論に代わる新たな生物進化理論を考え出し、自然界の
「進化」について研究を進めることが大切であると思う。