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だれか私とオーストラリアに行きませんか?(

こればか
ウグイスの広場
がっちゃんてな中2
 わたしはいろいろな土地に行き、その生き方になじむことで、自分の生きて
いる日本の大都会の生がいかに反自然な人工的なものかを知った。そこで何よ
り思い知らされたのは、人間は生きていく上でなんとわずかの物で足りるかと
いうことだった。人間は生きるためにいったい何を必要とし、何を必要としな
いか。むろん現代に生きるわれわれは良寛のように徹底したシンプル・ライフ
は送れない。現代文明に埋没しているわれわれが自分の生を全体として見つめ
直す気になるのはそういうときくらいのものである。
 
 エレベーター、エスカレーター、自動ドアー。この教室の近くのダイエーで
これらのものに一体いくらの電気代がかかっているのだろう?デパートでなく
ても、無駄に使われているところは無数にある。ファーストフードのお店は、
使い終わったプラスチック製の食器をすべて捨てている。その結果、都内の埋
め立て地はあふれかえり、今やゴミの不法投棄が世間をにぎわしているのだ。
これだけではない。長年にわたって、日本人はあらゆる国の知恵や文化を取り
入れてきた。その結果、今のようにものがあふれかえり、犯罪が絶えなくなり
…と、私たちは日に日に欲深くなっているような気がする。
 
 オーストラリアの先住民、アボリジニーや、どこに住んでいるのか知らない
けど、有名な「首長族」という人達は、一番ものの価値をわかっているのでは
ないだろうか。彼らは、ジャングル(森?林?)に狩りに行き、たき火をおこ
して料理する。水は川で汲んでくる…と、昔話の「おじいさんは山へ芝刈りに
、おばあさんは川に洗濯に…」と似たようなことをしている。この人達は、き
っとこういう生活が不便だと思っていないだろう。むしろ、こういう生活をし
た人達の方が、ひねくれない素直な心を持っているのではないだろうか。
 
 今の社会はものがあふれている。そういう中で生きている私たちは、どれが
必要でどれが不必要かという感覚が麻痺しているように思える。ときどき、オ
ーストラリアにでもいって、アボリジニーに本当の物の価値について聞いてき
たらいかがだろうか??なーんて。あははは。