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ひとこと
ラレルは
アジサイの広場
蒲原らつ中2
 最近私達は、ラレルのように七面倒な言葉や動作を簡便にしている。「見られる」「来られる」「起きら
れる」などの正規ノラレルに敬語の表現を任せることにしたが、その一方で、とりわけ可能の表現をラ
レルから独立させると厳粛な説話には用いる事が出来ない。しかし私達は、簡潔である方が好きなの
だ。
 サッカーでは、フェイントで相手をかわすのが普通だ。しかし今では、フェイントで相手をかわす事
が少なくなったと思う。その一方で、相手を股抜きという相手の股にボールを通し相手を抜くという
簡単な方法が増えてきた。また、ドリブルも変わった。昔は、ドリブルばかりをしていく方法が多か
った。しかし今では、パスでつないでいくという方法が一般的になった。パスでつないでいくと、時
間を稼げたり、ドリブルよりもはやく攻めたり出来る。パスということについての技術は良くなって
いる。しかし、ドリブルなどの個人プレーなどに必要な技術は少しずつ悪くなっている。
 私は、このように思う。ある物が良くなると、ある物が悪くなる。生物でいうと、「進化=退化」
となるのではないだろうか。私達には、考える力がある。だから、自分の体・性格・生活習慣などで
良くなった物があるのなら、その部分だけを見ずに悪くなったところも見たほうが良いと思う。